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内田樹による内田樹 単行本 – 2013/9/6

4.5 5つ星のうち4.5 26個の評価

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著者初の自著解説本
書き下ろし自作自註集。「なぜウチダは、これらの本を書いたのか?」
『ためらいの倫理学』から『日本辺境論』まで翻訳書を含む重要11作品を自らが語る。
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商品の説明

出版社からのコメント

単なるブックガイドではなく、内田樹の執筆活動の内側を垣間見ることができ、一冊の「読み物」として大変優れた書き下ろし作品です。

著者について

1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。凱風館館長。近著『修業論』(光文社新書)、『聖地巡礼ビギニング』(東京書籍/釈徹宗氏との共著)ほか著作多数。2007年に『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で小林秀雄賞、2010年『日本辺境論』(新潮新書)で新書大賞を受賞。2012年には第3回伊丹十三賞を受賞している。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 140B (2013/9/6)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/9/6
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 304ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4903993183
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4903993188
  • 寸法 ‏ : ‎ 18.6 x 2.7 x 13 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 26個の評価

著者について

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内田 樹
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年5月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
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1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 当代きっての売れっ子思想家、内田樹。
 本書は、あまたの著書を持つ彼が、自著11冊について語った、自作自註の解説書である。取り上げた11冊は、かつて勤務していた神戸女学院の大学院ゼミの録音記録であり、それに発展的に大幅に手を入れる形で、いわば自らの<指紋>を残して成立したのが本書なのだという。
 A5版、約300ページの本書は8章から成り、ほぼ編年的に編まれた構成から、彼の思想的基盤とその後の展開が解りやすい文章で語られて、理解は容易である。
 内田樹は、特異な思想家である。具体的に観れば。
 現代フランス哲学の研究者としてのスタートで取り組んだ哲学者が、エマニュエル・レヴィナスというユダヤ教に立脚した存在。その哲学は、自らが属するユダヤ人社会の第二次世界大戦での過酷な体験を踏まえて、独自の世界観を構築している。
その独自性を、誤解を恐れずに要約すれば。神は人間世界の諸事象に関与しない。人間の問題は、人間が成熟することで解決すべきもの。人はこの世界に存在する確たる理由はない。存在理由は自らが見出して行かねばならない。他者との関わりもすべて、衣食住といった、いわば身体の有限性から出発しよう。そして、世界に対して何かを志す時、他者にそれを期待するのではなく、自らが名乗り出ることによって成して行こう…(3・4・5章)。
 ちなみに内田は、レヴィナスのこの姿勢を、<自分で自分の髪を掴んで浮こうとしている人間のよう(p.166)>と比喩している。
この独自な世界観を深く我が物とする中で内田は他方、武道(合気道)の修練を積んでやがて師範となり、子育てするシングルファザーとして文字通り日常のあれこれをこなし、大学で教鞭をとり、能楽の稽古に励み…。観念的な学究的な態度とは対極の、まさに生活者そのものの、全身生活者のその身体から発する言葉に徹しようとする。
 当然のことながら、難解な知識を振りかざすだけの研究者・知識人とは相いれない(1章・6章)。それらの知識人が発する国際社会に関する情報は、イデオロギー的な定型によって意識的・無意識的な偏りの中にある(6章)。科学的という触れ込みのグランドセオリーは実用に資するものではない。本来の科学性とは、地域と時間に限定されたかたちで成り立つ(6章)ものだから…。
 内田は、非専門家の持つ柔軟な視線が持つ可能性に立脚する(6章)。彼にしても、世界的な趨勢としてのグローバル化を拒否するものではない。しかし私たちが属する共同体は、次世代の成員を育てるという形で存続し続けるのであり、その教育という分野は、<社会的共通資本>という(急激な)変化を好まない属性を持つにも関わらず、経済効率至上主義が持ち込まれて、深刻な弊害が生じた(1章・8章)と警鐘を鳴らす。
 内田のこの視点は、他の追随を許さない特別なものだろうか。
 いや、決してそうではない。極めて常識的な視点。長期にわたる哲学研究者としての研鑽の結果であるとしても、しごくまっとうな、常識人の発言と感じるのは、決して私ひとりではないはずだ。
 この視点を、内田は具体的にどのように獲得したのか。彼はそれを、武道の鍛錬からと言う(6章)。一般的に武道の鍛錬とは、今置かれた情況を全体的に把握して、そこから自らを、より安全で優位な立場へと導く最善の行動を、瞬時にとることの訓練である。
 常に、外界を把握する感受性を高め、<今・ここ>を高度に充実させることが、武道者としての能力が高める方法となのだ。彼はこれを、<驚くことができる>能力と表現する(6章)。決して、驚かされるのではない。突き詰めれば、外界への感受性が高いく、すなわち好奇心旺盛で柔軟に対応できる姿勢である。その根源には、フーッと息を吐いた、充分に緊張のほぐれた身体があるのだと、内田は言う。

 ヒューマニズムに立脚した生活者としての私たちだって、この方法で、私たち独自の見方を形作ることは可能なのだ。真剣にそれを志し、身心の情況を整え…。しかし、内田の方法を踏襲して私たち一人一人が内田樹になるのではなく…。内田の方法をしっかりと消化し深く骨肉化して、独自の<街場の>思想家となって、<今世界がどうなっているのかを説明し、できることなら、「あるべき世界のかたち」を…大胆に指し示すこと(p.201)>ができる、<真のグローバル的知性(p.199)>を自らの裡に築いて行く…。
 期せずして本書は、そのための恰好の教科書となっている。内田自身、読者の一人一人がそんな<思想家>なることを望んでいるのではないか。それは、内田と同じ見解を持つことでは、決してないことは明白。
 内田はかつて、<現代思想のパフォーマンス>という新書を難波江和英との共著で著している(光文社新書177。本書では未紹介)。ソシュール・バルト・フーコー・ラカンと言った錚々たる現代哲学者の思考方法を、現実の問題を取り上げることで実践的に学ぼうとするその本のキャッチコピーは、<部品の勉強はいいから、まず運転してごらん>。内田はあくまで、プラグマティックな人なのだ。
 内田の言説を金科玉条とすることは、もうやめよう。努力を積めば、私たちだって出来なくはない、思想の方法なのだから。内田はジャーナリスティックな売れっ子として、まさに<今の人>だろう。その方法を受け継いで私たちは、これからの時代をも生きる<今後の人>となって行こうでは…。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内田樹が過去に書いた本を自分自身が読みほぐし、それらの本を書いた時どういった背景で書いたのかを述べた本。
自註が収録されているのは
ためらいの倫理学
先生はえらい
レヴィナス序説
困難な自由
レヴィナスと愛の現象学
街場のアメリカ論 増補版 街場の中国論 日本辺境論
昭和のエートス 「おじさん」的思考
下流志向
である。

私はとくに教育に興味があるので本書の先生はえらい、下流志向の章に関しては面白く読めた一方、ブログや新聞への寄稿記事などで繰り返されているグローバリズム批判に終始してしまう「いつものお話」にしか読めなかった部分もあった。

それ以上に素晴らしいと思えたのがレヴィナス序説、困難な自由、レヴィナスと愛の現象学にの三作への言及だ。この部分は「内田樹によるレヴィナス」を知るための導入としてとても素晴らしい出来である。「内田樹によるレヴィナス」の入門書であって、本書の中でも言及されているように、内田樹による「(普通の人が納得する)レヴィナスの入門書」ではないことに注意されたい。

レヴィナス序説はコリン・デイヴィスによるレヴィナスの解説書で内田樹が和訳したもの。
困難な自由はレヴィナスの論文の内田樹による邦訳。
レヴィナスと愛の現象学は内田樹のレヴィナス論三部作の第一作目である。

内田樹の肩書や経歴として「武道家」「思想家」「元大学教授」「東大仏文学科卒」「専門は現代思想」といったものが挙げられるが、元々の学者になるきっかけを与えたのが「修士時代にレヴィナス」に触れたからであって、武道をやるのもレヴィナスの思想と深いところでつながっているという確信があったからなのだそうだ(それがどのようにつながっているのかを言語化できるようになったのは最近のことらしい)。

レヴィナスを読むには様々な解説書があるだろうが、内田樹から入ってレヴィナスを読みたい人はこの本から始めると良いのかもしれない。ちなみに私はレヴィナスと愛の現象学を何度か読もうと思ってもそのたびに挫折して、本棚の肥やしになっていまっている。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自身が今まで出版した著作への解説書とも言うべき本。
非常にまとまっていてわかりやすい。
内容は、いままで言ってきたことの繰り返しといえばそうだけど、文章に勢いがあって、「読ませる」本に仕上がっている。
ファンの方も、内田樹を読んだことがない人にも、オススメの一冊。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年8月15日に日本でレビュー済み
内田樹先生の多くの著作を読んできましたが、
本書のような形で、まとめて再度読むことで、一貫したテーマがあることに気づかされました。

以下、本書から私が思った内容です。

<まえがき>
クリエイティビティ=自分の知らない事を話している時こその創造性

コピーライト論=本質は、読んでもらうことだから、真似されるのは、別にいいけど、
騙られるのは、困る。という考え方。
人に何かを伝えるために書くときは、本気で自分で納得できるまで推敲する事。

<ためらいの倫理学>
制約の効果。制約があるから使われる能力がある。

書きそうにないものを書く。自分にしか書けない文章を書く。
←100万人のための当たり障りのない文章よりも、真剣に100人に届く文章。
『書き手に対して優位に立つことを願う編集者はライターに無意識的に「つまらないもの」、「誰にもかけそうなもの」
を書かせようとするようになる。ほんとに。』(P19)
「正しさ」は反論できないから「正しい」こと。でも当たり障りがなく無意味。無個性。(新聞の文体)
「まだ」書かれていない事を書く。

エコロジカル・ニッチ

「ためらい」「シャイネス」→気を遣うべき所には、気を遣う。迷うべき。

何のために文章を書くのか、もちろん伝えるためなのだけど、「正しさ」を伝えようとしても、
ほとんど無意味で、自分なりに何が伝えたいのか、真剣に考えた方がいい。

正しいかどうかよりも生産的かどうか。

「正しい」という事は、「倫理的」という事とイコールではない。
「ためらう」姿勢は安易に正しさに逃げない倫理的なもの。

「どうしていいのかわからない時に、どうしたらいいのかわかる」
「乱世の能力」「平時の能力」

人それぞれの幻想、生産的な幻想を持つ。
自分が見ている世界も自分らしさに含まれる。他者に自己を見出す態度。→寛容につながる。

<先生はえらい>
読む人の事を真剣に考える事がリーダビリティにつながる。
批判よりも、敬意の方が、パフォーマンスは上がる。

今ある資源でどうにかするしかない。という前提。システムは止められない。

ジャック・ラカンの「子供の問い」
「あなたはそういうことによって何が言いたいのですか?」

コミニュケーション、文脈、メタメッセージ
病的なメタ・メッセージを伝えるために、何かを話す。という事はしないようにする。
威張ったり、知的権威を誇示したり…→固有名詞だらけで、伝える気のない文章とか。
ただ、俺はこんなに知ってるぜ。とアピールするだけの文章とか。そういうことはしないこと。
→この場合、むしろ、「理解されない事」を望む。というねじ曲がった状態になる。

他人から操作されないために、欲望を持たないという方法…
教育は利益のためのではない。資本主義の論理で語っちゃいけない。

教師と生徒という関係性から、人は学ぶ。

依存すると、その分だけ、人は自由でなくなる。だけど…
欲望を自分の行動の基準にすると、どうしても行動できなくなる時がある。

<レヴィナス序説>
敬語→身内じゃない事の証明。距離を取るあり方。だからこその慇懃無礼?

テキストの宛先。

分からないのは、理解する価値がないからではなく、分からないのは、
まだ、自分がそこまでの知力に達しいないからだ。=弟子の態度。
成長、卓越には、そういう信仰が必要

複雑な事を簡単にしてしまうのは、自分の知力の無さゆえ。

翻訳の身体性。

<困難な自由>
自由は単なる欲望を選択できることではない。
その選択は、自分の経験≒傾向性によるもので…って議論に共感。
毎回、利益計算して、行動を選択するとか、凄く面倒。
ダメなものはダメ。やるべきことはやる。的な考えも、一部必要だと。

成熟すること。大人になる事。責任を主体的に取る、見出す事。

<レヴィナスと愛の現象学>
主体の自明性の揺らぎ
倫理的であることの難しさ
『理解も共感も絶した「他者」を歓待する』
圧倒的にわからない。わかった気になってはいけない。
という他者から、何を学ぶ事ができるのか。

「義務の過剰」「有責性」勝手に感じて、勝手に行う、振る舞うもの。

「選び」責任を逃れる事は、自身の主体性にとってマイナス。

<街場のアメリカ、中国論、日本辺境論>
驚く能力。簡単にわかった気にならない事。世界を縮減しない事。
自分への問いの欠如。何故、自分はこのことを問題にしているのか?

ライブ感、動性。今まで考えられていなかったことを考える。
考えるためには、情報が必要で、それをどのように受け取るか?という工夫。

記憶を再現すること自体は、無意味な事が多い。
非専門のアドバンテージ。全く何も知らない人に向けて書く。

自分を当たり前だと思わない事。自分の考えは、今までの考えに基づいているという認識を持つこと。

できる限り、具体的に語る事。

<昭和のエートス、おじさん的思考>
「世代」への想像力。ある年齢でどういう出来事が起こると、どういう風になるのか?と想像する事。

<下流志向>
『消費者として合理的にふるまった結果、子供たちが学びから遠ざかってしまった。』
→主語が不明な不思議な一文。学校も子供も両方なんだろうと。

労苦を安易に計量して、交換しようとしない方が身のため。
消費者マインドでいると、小さい人間になる。

何で、この節(=下流志向)で、「生活」「生きる事」を問題にしているのか。
その辺の意識について考える必要がある。

教育=inputとoutputの時間差がある制度

逆消費者マインドに注意する事。
つまり、「これだけ苦労しているのだから、何か見返りがあって当然だろう。」と思う事。
勤勉である事は「結果」を求めてする。というよりは、単にそうするべきだから。する。
というものであるべき。
まぁでも、「できるだけ楽しよう」と考える消費者マインドと同じか…
被害者の正義感は良い時も悪い時もある。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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