読む価値のある本とはこういう本だ!
そう言い切れる一冊だった。
「いじめ自殺の原因は「いじめは自殺するほど苦しい」という認識が一般化しているからだ。」
と読んで、反対する人は多いと思う。認識とか関係なくいじめられたら苦しいだろう!と。
でもそう思った人ほど、この本を読んでほしい。
この本では、筆者の考えだけでなくそれを支える色々な考え方がきちんと書かれている。難しいところは飛ばしても良い。最後まで読んでみれば、全く新しいいじめ問題への視界がひらけていることに気づけると思う。
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「いじめ自殺」の社会学―「いじめ問題」を脱構築する (世界思想ゼミナール) 単行本(ソフトカバー) – 2015/3/1
北澤 毅
(著)
「いじめは死に値する苦しみである」という認識が社会文化的につくられたものであることを、新聞、テレビ番組、書籍のなかに観察される「いじめ言説」を分析することにより明らかにする。「いじめ自殺」根絶への糸口を探る試み。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社世界思想社
- 発売日2015/3/1
- 寸法13.2 x 1.6 x 18.9 cm
- ISBN-104790716503
- ISBN-13978-4790716501
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商品の説明
出版社からのコメント
〈「はじめに」から抜粋〉
「いじめ」がなくならないから「いじめ自殺」がなくならない、だから「いじめ」をなくすことに全力を注ぐべきだという考え方が、あたかも唯一の正解であるかのように繰り返し主張され、対策が講じられてきた。しかし、そういうやり方では駄目かもしれないということにそろそろ気づくべきではないか。なぜなら、「いじめをなくせ」という語り方が正論として機能することで他の語り方や対策が封じ込められてしまい、「いじめ問題」は出口の見えない袋小路に入り込んでしまっているように思われるからである。
「いじめ」がなくならないから「いじめ自殺」がなくならない、だから「いじめ」をなくすことに全力を注ぐべきだという考え方が、あたかも唯一の正解であるかのように繰り返し主張され、対策が講じられてきた。しかし、そういうやり方では駄目かもしれないということにそろそろ気づくべきではないか。なぜなら、「いじめをなくせ」という語り方が正論として機能することで他の語り方や対策が封じ込められてしまい、「いじめ問題」は出口の見えない袋小路に入り込んでしまっているように思われるからである。
登録情報
- 出版社 : 世界思想社 (2015/3/1)
- 発売日 : 2015/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4790716503
- ISBN-13 : 978-4790716501
- 寸法 : 13.2 x 1.6 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 528,143位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 66,997位社会・政治 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年3月20日に日本でレビュー済み
序章 いじめ問題とは何か
第1章 いじめ自殺問題とは何か―動機と原因についての考察
第2章 社会問題とは何か―いじめ問題の構築主義的分析のために
第3章 いじめ問題の成立
第4章 いじめ定義論―定義活動のパラドックス
第5章 誰がいじ」を認定するのか
第6章 いじめ問題と教師―いじめ事実の発見者から定義者へ
第7章 いじめられ経験の構造
終章 いじめ問題の解決とは―いじめ言説の解体と孤独感からの解放
第1章 いじめ自殺問題とは何か―動機と原因についての考察
第2章 社会問題とは何か―いじめ問題の構築主義的分析のために
第3章 いじめ問題の成立
第4章 いじめ定義論―定義活動のパラドックス
第5章 誰がいじ」を認定するのか
第6章 いじめ問題と教師―いじめ事実の発見者から定義者へ
第7章 いじめられ経験の構造
終章 いじめ問題の解決とは―いじめ言説の解体と孤独感からの解放
2018年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目からウロコとはこのことです。「いじめ」にどう対応するかという本は山のようにありますが、この本はそもそも「いじめ問題」の存在そのものを問うています。
一見、「えっ」と思うが、著者は克明な「いじめ自殺事件」史を追うことにより、なるほど、1980年代あたりからすでに学校内にあった問題を「いじめ」と呼称するようになったに過ぎないことを明らかにしています。
実際、学校現場はそうでした。そうすると、これは対応策も大きく変わります。「いじめ問題」固有の対応策を身に付けようとするよりも、今まであった生徒指導上の問題に強くなる力を付けることが最も大切だと分かります。
現場の教師が読むときっとなるほどと思うことばかりです。
一見、「えっ」と思うが、著者は克明な「いじめ自殺事件」史を追うことにより、なるほど、1980年代あたりからすでに学校内にあった問題を「いじめ」と呼称するようになったに過ぎないことを明らかにしています。
実際、学校現場はそうでした。そうすると、これは対応策も大きく変わります。「いじめ問題」固有の対応策を身に付けようとするよりも、今まであった生徒指導上の問題に強くなる力を付けることが最も大切だと分かります。
現場の教師が読むときっとなるほどと思うことばかりです。
2020年6月27日に日本でレビュー済み
まず、なんとなく手に取ってしまっただけの学の無い私には、読み進めるのも難しい本でした。
学術書と呼ばれる本(だと思うのですが)、初めて読みました。
目から鱗です。
いじめ自殺に関する事件をテレビで見て、
「いじめで死んじゃうなんて、そんな悲しいことある?」と思えて気持ちが高まっている時に読みました。
この本によると、「いじめは自殺するほど苦しいものだ」という世の中になったのは、80年代くらいからだそうです。
それまでは、こどもの自殺=いじめ、と結びつかず、テレビや新聞の報道で、そういう世の中になっていってしまったということを、いろんな事実から紐解いてありました。
また、遺族の方の話もありました。
「なぜ自殺のSOSに気づけなかったのか」というのは、テレビでよく見る言葉でした。
明るく振舞っていたことを「演技」と捉えることや、「何だろうという胸騒ぎがあった」という出来事は、その出来事を外から見たり「反省」するから「自殺のSOS」と結びつけて考えられるだけなんだ。…というようなことも語られていて、印象的でした。
遺族の方が自分を責めたり、「子供の異変に気づけなかった親」に見られるようなことになるのは間違っているなと思いました。
「殴られて痛い」は自然法則だけど、「いじめ苦で自殺」は社会によって作られた話ということです。
いじめ苦で悩む人たちを救えうために社会が変わらないといけない。
こういう考え方を大切にして生活していきたいな、と思いました(๑'•.̫ • `๑)
学術書と呼ばれる本(だと思うのですが)、初めて読みました。
目から鱗です。
いじめ自殺に関する事件をテレビで見て、
「いじめで死んじゃうなんて、そんな悲しいことある?」と思えて気持ちが高まっている時に読みました。
この本によると、「いじめは自殺するほど苦しいものだ」という世の中になったのは、80年代くらいからだそうです。
それまでは、こどもの自殺=いじめ、と結びつかず、テレビや新聞の報道で、そういう世の中になっていってしまったということを、いろんな事実から紐解いてありました。
また、遺族の方の話もありました。
「なぜ自殺のSOSに気づけなかったのか」というのは、テレビでよく見る言葉でした。
明るく振舞っていたことを「演技」と捉えることや、「何だろうという胸騒ぎがあった」という出来事は、その出来事を外から見たり「反省」するから「自殺のSOS」と結びつけて考えられるだけなんだ。…というようなことも語られていて、印象的でした。
遺族の方が自分を責めたり、「子供の異変に気づけなかった親」に見られるようなことになるのは間違っているなと思いました。
「殴られて痛い」は自然法則だけど、「いじめ苦で自殺」は社会によって作られた話ということです。
いじめ苦で悩む人たちを救えうために社会が変わらないといけない。
こういう考え方を大切にして生活していきたいな、と思いました(๑'•.̫ • `๑)
2021年3月12日に日本でレビュー済み
まさに、副題である「『いじめ問題』を脱構築する」が、私の中で起きました。