多変数関数の微分積分学では、多様体の導入とベクトル場の積分定理の扱いに関し、大別して三種類のテキストが存在する。「多様体には触れず、2変数と3変数関数を中心としてベクトル場の積分定理を詳述するもの」、「数空間(ユークリッド空間)の多様体に言及し、その3次元までのベクトル場の積分定理としてベクトル解析の緒定理を論じるもの」、「数空間の多様体とその上の微分形式を導入し、その積分定理としてストークスの定理を確立し、ベクトル解析の積分定理との関係を論じるもの」に大別される。私が読んだことがある邦書のテキストでは、一松信『解析学序説』と笠原晧司『微分積分学』が最初のタイプ、杉浦光夫『解析入門』が第2のタイプ、スピヴァック『多変数解析学』と本書が最後のタイプにあたる。
本書は一部の専門家を除きあまり知られていない様であるが、多変数の微積分への多様体の導入とストークスの定理の定式化につき、非常にユニークで優れたテキストである。本書で印象に残ったことを感想として述べたい。
(1) 数空間の微分可能写像の階数定理と部分多様体との関係の詳しい叙述
数空間(RnとRmの開集合UとVの)間の微分可能写像 f: U→Vのヤコビ行列J(f)の階数がr(≦min(n,m))のとき、定義域と値域を局所C1同形写像でうまく変換すると、fがRnの先頭のr個の座標による射影で表現できるという定理が「階数定理」である。本書では微分写像df(同じことだが、ヤコビ行列J(f))が全射(n≧m、r=m)と単射(n≦m、r=n)になる典型的な場合が取り上げられ、前者から数空間Rnの部分多様体(余次元m)の陰関数表示(f(z)=0)が、後者から数空間Rmの部分多様体f(U)(次元n)の局所パラメータ表示が得られることが示されている。特に、数空間の部分多様体のこれらの表示が本質的に同等であるという重要な結果が明記されていることに留意したい(*1)。
(2) 数空間の多変数関数へのルベーグ積分の導入、及び可積分関数のフビニの定理と変数変換定理の美しい証明
ここが本書で最も感銘を受けた箇所である。大学初年級で多変数関数のリーマン積分を習得した人は「出来るだけ早くルベーグ積分に親しむべきだ」という著者の主張が読み取れるように思う。ルベーグ積分論を集合の測度から出発する「ルベーグ式」ではなく、関数の積分を直接構成する「ダニエル式」で叙述しており、ルベーグ可積分関数やその積分の基本的な性質に短時間で到達できるというこの方式の利点が活用されている。関数の積分の構成(延長)が、階段関数の一様収束極限とコンパクトな台をもつ連続関数の殆ど至る所の単調収束極限の二段階で構成されており、ダニエル式積分論の有用性と威力を本書において認識できる所が素晴らしい。例えば、ルベーグによる有名な収束定理が、「可積分関数の(殆ど至る所)単調収束列の積分が有界であれば、積分と極限とが交換可能である」という「ベッポ・レビの定理」の系であることが示されており、殆ど至る所の単調収束極限を考慮することがこの方式の核心であることが理解できる(*2)。また、数空間の可積分関数の累次積分に関する「フビニの定理」や重積分の「変数変換公式」の証明の美しさ(& カッコ良さ = とてもcoolである)にも感銘を受ける【このあたりを知るだけでも本書を読む価値は十分にあると思う】。ルベーグ可積分関数に対し「変数変換公式」の証明をキッチリ与えている教科書は非常に少ないので本書の叙述はとても貴重である。
(3) ストークスの定理への美しい叙述
ストークスの定理(*3)を述べるには(必ずしも数空間の部分多様体でない)微分多様体とその上の微分形式を導入する必要がある。このあたりの必要最小限の事柄、例えば抽象的な微分多様体の定義、多様体上の座標関数の微分がなす線形空間の外積代数(外積多元環の元)としての微分形式の導入、が簡潔に解説されている。本書で明記されている「多様体上の関数」あるいは「多様体間の写像により引き戻された関数」の局所座標系に関する偏導関数の変換則、また微分形式の局所座標系に関する変換則やその積分の不変性、などの証明では、割愛されている細部(*4)を補いながら確実にフォローされることをお薦めしたい【多様体上の関数や微分形式の積分が局所座標系における議論に帰着できるのは、台のコンパクト性と1の分割の存在に依っていることに注意したい】。このあたりの詳細を補えば、非常に丁寧にストークスの定理の証明が与えられている所に本書の魅力があることに気付かれると思う。
多変数の微積分の題材から多様体論への導入を図る、換言すれば多様体論の学習にスムーズに繋がるような微積分のテキストという観点から、基礎の枠組みがコンパクトに纏まっている本書は最良の邦書と言っても過言ではない。多様体上の関数や微分形式の積分にダニエル式のルベーグ積分論を活用している点もユニークで評価できる。数学が好きな方に、こんなに面白く素敵な書をぜひ一度手に取って頂きたいと思う。
【付記】 レビューの本文を補足する事柄を以下に少し述べたいと思う。
(*1) 数空間の部分多様体に関し、「陰関数表示」、「パラメータ表示」、「グラフ表示」は全て同値であるという重要な結果が知られている。例えば、坪井俊『幾何学I 多様体入門』第2.2節に詳しい解説がある。
(*2) 1変数関数の場合だが「ベッポ・レビの単調収束定理」から「ルベーグの収束定理」が導かれることが、笠原晧司『微分積分学』の付章でも述べられている。この書からも、「ルベーグ積分に早い段階から親しむことが得策なのだ」という見解が読み取れる。笠原先生の本を読み、バナッハ空間の縮小写像の不動点定理やダニエル式のルベーグ積分に触れている本書のことを思い出し、微分積分学の「生涯学習」の一環として再読したという次第である。
(*3) n次元多様体M上の微分形式の積分に関するストークスの定理(n-1次微分形式ωの外微分dと正則境界を持つ領域Dの境界作用素∂との対応: ∫(∂D上)ω=∫(D上)dω)は、(1≦p≦nの場合)M上の可微分特異pチェインとp-1次微分形式との間の(外微分dと境界作用素∂との)対応に拡張できることは良く知られている。例えば、村上信吾『多様体』3.3節、服部晶夫『多様体』7.2節、坪井俊『幾何学III 微分形式』第3章、F.W. Warner『Foundations of Differentiable Manifolds and Lie Groups』定理4.7、などに証明がある。ここを起点としてド・ラームのコホモロジー理論という素晴らしい理論が出てくるわけである。Warnerの書やBott-Tuの有名な教科書(邦訳『微分形式と代数トポロジー』)などに詳しく解説されているので、ぜひ学習されることをお薦めしたい。これらの書を読まれれば、ベクトル束や層の理論を導入する必然性と重要性を十分に理解できるのではなかろうか。
【追記: 2019.3.1】
(*4) 読者の方々は、理解のバロメータとして、9.1節の式(1)(208頁)と212頁の問2を検証して頂きたいと思う。座標近傍での微分形式の積分の不変性は10.3節(254頁)の最初の等式で保証されるので、その検証もぜひ行って頂きたいと思う。多様体論の多くのテキストで、局所座標系(あるいは、その逆写像である局所パラメータ)を用い、「問題は局所的であるので、数空間の開集合の上で考えればよい」とされ、いつの間にか「座標近傍の局所座標が数空間の標準座標にすり替わっている」ことに、いかがわしさを感じた方は少なくないかもしれない【多様体論を初めて学んだ頃の私はそのように感じた】。その様に扱っても問題ないことを、これらが示していることに留意して頂きたい。
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教本・講義の対照による現代微積分: ストークスの定理を目指して 単行本 – 1972/3/1
山崎 圭次郎
(著)
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- ISBN-104768703631
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- 出版社現代数学社
- 発売日1972/3/1
- 言語日本語
- 本の長さ284ページ
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登録情報
- 出版社 : 現代数学社 (1972/3/1)
- 発売日 : 1972/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 284ページ
- ISBN-10 : 4768703631
- ISBN-13 : 978-4768703632
- Amazon 売れ筋ランキング: - 753,658位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 563位微積分・解析
- カスタマーレビュー:
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2019年1月22日に日本でレビュー済み
2011年4月9日に日本でレビュー済み
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ネットで誰かがほめていたのを見て激安295円で思わず買った本です。初版が39年前でこんな素晴らしい内容の本がでていたのに驚き嬉しいのでカキコします。
内容はザッと見ただけですが。
第1講位相
第2講連結
第3講多変数の微分
第4講方程式とパラメーターーー多様体ーー
第5講完備性とその応用ーー存在定理ーー
第6講多変数の積分
第7講積分の性質
第8講積分変数変換と線分・面積分
第9講微分形式ーーコーシーの積分定理
第10講外微分ーーストークスの定理
基本的には志賀 浩二先生の30講義シリーズの内容と結構ダブリってますね。
内容はザッと見ただけですが。
第1講位相
第2講連結
第3講多変数の微分
第4講方程式とパラメーターーー多様体ーー
第5講完備性とその応用ーー存在定理ーー
第6講多変数の積分
第7講積分の性質
第8講積分変数変換と線分・面積分
第9講微分形式ーーコーシーの積分定理
第10講外微分ーーストークスの定理
基本的には志賀 浩二先生の30講義シリーズの内容と結構ダブリってますね。