天武天皇によって、一地方神から国家最高神に再編された政治シンボル「アマテラス」。その近代的展開を追った研究書である。著者は、政府高官の言説から民間に流布した鯰絵までを渉猟し、それぞれの「アマテラス」に盛られた意味の読解を通じて、西洋と東洋、宗教と政治、近代化と反動の間で捻じれつつ膨張を続け、ついには破局へと至ったこの国の政治システムの展開そのものを分析していく。著者自身が記すように、本書の主眼は、天皇制における政治シンボルの考察という「壮大なテーマの暫定的な見取り図」の提示にあり、その目的は十分に果たされている。
しかし、この明晰な研究書を読み終わった後に残るのは、とてつもないホラー小説のクライマックスに差し掛かった時の、あの肌が粟立つ感じだ。「アマテラス」とは何なのか?今、どこにいるのか?そして、今度、私たちの前に現れる時があるとすれば、それはどのような貌をしているのだろうか?
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アマテラスと天皇: 〈政治シンボル〉の近代史 (歴史文化ライブラリー 334) 単行本 – 2011/11/21
千葉 慶
(著)
明治政府がアマテラスを政治シンボルとした経緯や後の変貌、戦後の解体を分析。天皇制の政治神話を解明し、「象徴」天皇制を考える。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社吉川弘文館
- 発売日2011/11/21
- ISBN-109784642057349
- ISBN-13978-4642057349
登録情報
- ASIN : 464205734X
- 出版社 : 吉川弘文館 (2011/11/21)
- 発売日 : 2011/11/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 238ページ
- ISBN-10 : 9784642057349
- ISBN-13 : 978-4642057349
- Amazon 売れ筋ランキング: - 859,125位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2011年11月21日に日本でレビュー済み
本書は、象徴天皇制の「象徴」とは一体何か?についてを問いかけ、
明治政府の成立から第二次世界大戦後までを通じて、記紀神話の神「アマテラス」が、
政府や宗教家など、様々な人々の自己正当化の手段として利用されてきた背景と変遷を語る一冊である。
文章は理路整然としており、主張と起承転結がはっきりしているので、とても読みやすい。
著者の千葉氏は、もともと美術史を専攻されていた方だそうで、
アマテラスのもつイメージが、元々はどのようなものであって、どんな風に利用されていたのか
という<表象>の歴史を丁寧に解いている。
我々が即座に思い浮かべるアマテラス像といえば、「太陽神」「最高神」「皇祖の女神」、
「天の岩戸に籠る神」、あるいは「弟の来訪に対して武装する姉神」といったところだろうか。
だが、本書によれば、明治政府が新政権の統治正当化の手段として用いる以前には、
もっと多様なアマテラス像があったようだ。
最も印象に残ったのは、アマテラス像が民衆の間でどのように享受され、
どのように変遷していったかについて、江戸時代の「鯰絵」や神社の絵馬から分析しているくだりだ。
歴史的な流れだけを追っていくのではなく、絵画といった一般人にも馴染みやすい事物を用いて
読み解いている点が面白く、しかもそれが絵馬のような、我々の日常にとても身近なところからも
「<表象>の政治的操作」を見出すことができるというのが大変興味深い。
これらの絵に関する著者の見解をもっと深く知りたいので、
今度は是非とも「鯰絵や絵馬に見るアマテラス像の変遷」というテーマだけで
更に詳しいものを一本書いていただきたいものである。
最後に。
冒頭で「象徴天皇制の『象徴』とはなにか」と問いかけられた時、
正直良い意味で横っ面をはたかれた様な気分になった。
確かに「象徴」がどういう意味を持つのかと正面切って言われてしまうと、
正直なところ、何とも答えられないのが実状である。
象徴天皇制が安全だなんて、一体誰が謳って、どこの誰が保障してくれるのだろう。
憲法9条という揺り籠に守られ、象徴天皇制という見せかけの安寧に胡坐をかいている我々は、
いまこその姿勢を正すべきなのかもしれない。
明治政府の成立から第二次世界大戦後までを通じて、記紀神話の神「アマテラス」が、
政府や宗教家など、様々な人々の自己正当化の手段として利用されてきた背景と変遷を語る一冊である。
文章は理路整然としており、主張と起承転結がはっきりしているので、とても読みやすい。
著者の千葉氏は、もともと美術史を専攻されていた方だそうで、
アマテラスのもつイメージが、元々はどのようなものであって、どんな風に利用されていたのか
という<表象>の歴史を丁寧に解いている。
我々が即座に思い浮かべるアマテラス像といえば、「太陽神」「最高神」「皇祖の女神」、
「天の岩戸に籠る神」、あるいは「弟の来訪に対して武装する姉神」といったところだろうか。
だが、本書によれば、明治政府が新政権の統治正当化の手段として用いる以前には、
もっと多様なアマテラス像があったようだ。
最も印象に残ったのは、アマテラス像が民衆の間でどのように享受され、
どのように変遷していったかについて、江戸時代の「鯰絵」や神社の絵馬から分析しているくだりだ。
歴史的な流れだけを追っていくのではなく、絵画といった一般人にも馴染みやすい事物を用いて
読み解いている点が面白く、しかもそれが絵馬のような、我々の日常にとても身近なところからも
「<表象>の政治的操作」を見出すことができるというのが大変興味深い。
これらの絵に関する著者の見解をもっと深く知りたいので、
今度は是非とも「鯰絵や絵馬に見るアマテラス像の変遷」というテーマだけで
更に詳しいものを一本書いていただきたいものである。
最後に。
冒頭で「象徴天皇制の『象徴』とはなにか」と問いかけられた時、
正直良い意味で横っ面をはたかれた様な気分になった。
確かに「象徴」がどういう意味を持つのかと正面切って言われてしまうと、
正直なところ、何とも答えられないのが実状である。
象徴天皇制が安全だなんて、一体誰が謳って、どこの誰が保障してくれるのだろう。
憲法9条という揺り籠に守られ、象徴天皇制という見せかけの安寧に胡坐をかいている我々は、
いまこその姿勢を正すべきなのかもしれない。