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推測と反駁: 科学的知識の発展 (叢書・ウニベルシタス 95) 単行本 – 1980/1/1
カール ライムント ポパー
(著),
藤本 隆志
(翻訳)
- 本の長さ791ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日1980/1/1
- ISBN-104588000950
- ISBN-13978-4588000959
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登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (1980/1/1)
- 発売日 : 1980/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 791ページ
- ISBN-10 : 4588000950
- ISBN-13 : 978-4588000959
- Amazon 売れ筋ランキング: - 246,713位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9,022位哲学・思想 (本)
- - 48,643位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年2月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新装版といっても外側だけで、中身は旧版のままです。
紙質が悪い20年前の本が読みづらくなり、この本が今も新本で手に入る意義は大きいと再購入。
カール・ホパーの根の部分が、寄り道少なめで詰め込まれている本です。
「科学的定言は、反証によってそれが覆されるまでの間のみ、真理である」とは、今も当方の頭に残る至言です(これを地で行くと、社会では暮らしにくいですが)。
紙質が悪い20年前の本が読みづらくなり、この本が今も新本で手に入る意義は大きいと再購入。
カール・ホパーの根の部分が、寄り道少なめで詰め込まれている本です。
「科学的定言は、反証によってそれが覆されるまでの間のみ、真理である」とは、今も当方の頭に残る至言です(これを地で行くと、社会では暮らしにくいですが)。
2020年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、
ポパー氏が1930~1960年に至る期間に執筆した、
諸論文が本文として収録されており、( 訳者あとがき )
真理の探究においての諸解釈を、
歴史を辿りながら考察する、という内容となっている。( 約800ページ程 )
科学と似非科学の境界設定、
主観的解釈と権力主義の結びつき、
非実在論の背景の歴史を、
可謬の姿勢 ( 自己の過誤から学ぶ ) で考察していく。
( ソクラテス以前の哲学者から量子力学解釈までのいくつかの諸解釈において )
その姿勢において、知識という概念に対して、
知識の究極的根源など存在しない ( 可謬性 ) と捉え、
誤りから学ぶことが可能な仮説を反証し、それを続けることで、
真理について多く学ぶことができ、
より真理に接近することができると、ポパー氏は解釈している。
その理論を述べると、
ガリレイ、ニュートン、
フレネル、ファラデー、マクスウェル
アインシュタインを経て、
実在する、論理的により蓋然性の低い理論、
より厳しくテスト可能な理論 ( より験証された仮説 ) に取って代わられたと、
一例を挙げ論じている。
これら演繹展開された帰結の、
永続的寄与として、
理論 ( 諸仮説-帰結 ) から生じさせる、
新しい問題を示唆する能力が次々と増すとされる、
と解釈している。
真理接近度に対して、その一例を挙げると
・反証による諸理論構築に対する漸次的発見、発明
・競合しあう見解の多様性から、仮説構築の拡張とその組み立て
まずは、不寛容な者でもすべて寛容するという姿勢から、
真理接近度や利害の対称性において、
諸仮説を解釈するという姿勢である。
まとめておく。
1 主観的解釈 ( 反証テスト不可能、観察不可能 )
・観察不可能、反証不可能な解釈や経験 ( 物理法則に対して結びつき不可能 )
・正当化、立証化 ( 先決問題要求の虚偽、アドホックな仮説、アプリオリ仮説、帰納原理 )
・恣意的な定義 ( 枚挙的な定義、無定義的名辞に無限循環 )
・便宜の為に用いる道具 ( 規約、定理 、数学 )
・観察不可能、反証不可能
・似非合理主義、ユートピア主義 ( 集産全体主義、計画社会主義、権威主義、強要主義 )
・恣意的な歴史法則的教説 ( 諸宗教、占星術、マルクス )
・ヘーゲル、カントの主知主義、独断的な解釈
( 利害得失の非対称性が潜んでいる )
2 傾向性統計解釈 ( 統計的にテスト可能 )
・様々な初期値鋭敏性なる前提条件で反証テストされた仮説-帰結
( 確率言明は、その数が増えるほど確からしさが小さくなる ( ゼロに近づく ) )
( 真理に対して近似的な理論、真理近似性 )
3 客観的解釈 ( 反証テスト可能、事実との対応している仮説-帰結 )
・観察命題からの演繹可能、自然法則に還元できる仮説-帰結 ( 自然法則と結びつけることができる )
( 1、2は非決定論としている )
ポパー氏が投げかける、
「いかにしてわれわれは誤謬を検出することができるか」という問いを自身に問い、
他の人の理論ないし推量を批判 ( 反駁 ) し、
自身もそのように晒し続けることや、
「確たる真理は、何人もこれを知らず」と自身に向けることで、
真理探究への道が拡張し、
真理について多く学ぶことができるのかもしれない。
ポパー氏が1930~1960年に至る期間に執筆した、
諸論文が本文として収録されており、( 訳者あとがき )
真理の探究においての諸解釈を、
歴史を辿りながら考察する、という内容となっている。( 約800ページ程 )
科学と似非科学の境界設定、
主観的解釈と権力主義の結びつき、
非実在論の背景の歴史を、
可謬の姿勢 ( 自己の過誤から学ぶ ) で考察していく。
( ソクラテス以前の哲学者から量子力学解釈までのいくつかの諸解釈において )
その姿勢において、知識という概念に対して、
知識の究極的根源など存在しない ( 可謬性 ) と捉え、
誤りから学ぶことが可能な仮説を反証し、それを続けることで、
真理について多く学ぶことができ、
より真理に接近することができると、ポパー氏は解釈している。
その理論を述べると、
ガリレイ、ニュートン、
フレネル、ファラデー、マクスウェル
アインシュタインを経て、
実在する、論理的により蓋然性の低い理論、
より厳しくテスト可能な理論 ( より験証された仮説 ) に取って代わられたと、
一例を挙げ論じている。
これら演繹展開された帰結の、
永続的寄与として、
理論 ( 諸仮説-帰結 ) から生じさせる、
新しい問題を示唆する能力が次々と増すとされる、
と解釈している。
真理接近度に対して、その一例を挙げると
・反証による諸理論構築に対する漸次的発見、発明
・競合しあう見解の多様性から、仮説構築の拡張とその組み立て
まずは、不寛容な者でもすべて寛容するという姿勢から、
真理接近度や利害の対称性において、
諸仮説を解釈するという姿勢である。
まとめておく。
1 主観的解釈 ( 反証テスト不可能、観察不可能 )
・観察不可能、反証不可能な解釈や経験 ( 物理法則に対して結びつき不可能 )
・正当化、立証化 ( 先決問題要求の虚偽、アドホックな仮説、アプリオリ仮説、帰納原理 )
・恣意的な定義 ( 枚挙的な定義、無定義的名辞に無限循環 )
・便宜の為に用いる道具 ( 規約、定理 、数学 )
・観察不可能、反証不可能
・似非合理主義、ユートピア主義 ( 集産全体主義、計画社会主義、権威主義、強要主義 )
・恣意的な歴史法則的教説 ( 諸宗教、占星術、マルクス )
・ヘーゲル、カントの主知主義、独断的な解釈
( 利害得失の非対称性が潜んでいる )
2 傾向性統計解釈 ( 統計的にテスト可能 )
・様々な初期値鋭敏性なる前提条件で反証テストされた仮説-帰結
( 確率言明は、その数が増えるほど確からしさが小さくなる ( ゼロに近づく ) )
( 真理に対して近似的な理論、真理近似性 )
3 客観的解釈 ( 反証テスト可能、事実との対応している仮説-帰結 )
・観察命題からの演繹可能、自然法則に還元できる仮説-帰結 ( 自然法則と結びつけることができる )
( 1、2は非決定論としている )
ポパー氏が投げかける、
「いかにしてわれわれは誤謬を検出することができるか」という問いを自身に問い、
他の人の理論ないし推量を批判 ( 反駁 ) し、
自身もそのように晒し続けることや、
「確たる真理は、何人もこれを知らず」と自身に向けることで、
真理探究への道が拡張し、
真理について多く学ぶことができるのかもしれない。
2015年1月12日に日本でレビュー済み
.
カール ポパーが唱える 「 批判的合理主義 ( critical rationalism ) 」 は、 タイトル からは その内容が 把握しづらい訳語 だが、
「 形而上 あるいは 形而下 の区分を問わず あらゆる 仮説 を受け入れ、それらに 客観性あるテスト を加えていくこと ( 験証 ) によって、 より説明力の高い理論を形成し 漸進的に科学の進歩を促して、未知の世界を切り拓いてゆく 」 といった、自由でオープンな 科学上のアプローチ を指す。
平たく言えば、「 お互いの科学仮説を 率直にチェックし合い、必要であれば修正を加えて 皆で少しづつ 科学を前進させよう 」 という考え方である。
基本的な姿勢として、科学上の理論について 「 永久不変の 絶対的な真理 であることの証明 」 は、不可能 と考える。 現時点において 正しい とされている理論については、あくまでも 「 未だ 反証がなされていない、暫定的に 正しい と見做される仮説 」 として位置付ける。
カントが 「 不変の真理 」 と信じた ニュートン力学 が、後に アインシュタイン により否定された事例をわれわれは想起する必要がある、とポパーは繰り返し説いている。
.
本書の英文版は、 ポパーによる論文集 「 Conjectures and Refutations 」 の表題で Routledge社 から出版されている。
特筆すべきことは、本叢書における翻訳の外に、論文集中 表題作品を含む主要2作品について、若き日の 黒田東彦さん( 財務官、アジア開発銀行総裁、 日本銀行総裁 ) が訳出されていることである。
⇒ 碧海純一著 『 批判的合理主義 』 (1974年) 現代思想〈6 清水幾太郎責任編集〉ダイヤモンド社 所収。
黒田さんの翻訳は単なる 彼我の言葉の置き換え ではなく、原文を忠実に読み込んだ、 向学の志 にあふれる青年の 『 清冽な気合 』 が感じられる力のこもった訳文である( 英国留学から帰国された後、東大法学部の法哲学教授であった恩師 碧海純一先生のご推薦があったものと聞く ・・・ おそらくは多忙な業務の一方において、精力的に訳出されたものであろう )。
・ ・ ・ 付言させて頂ければ、本文部分にも増して 物理学、論理学のロジックが入る ポパー特有の詳細かつ膨大な 「 注釈部分 」 の訳出には、 多少のご苦心もお有りではなかったか ・ ・ ・ と拝察申し上げている ( 注釈についても 完璧な訳文であること、論を俟たない)。
本書はポパーの広汎な講演記録や論文をカバーしている関係から、かなり「理科系」の知識が要求される内容を含んでおり、高校生以下の若いひと向けに本書所収の主要論文をピック・アップした より簡便な 「文庫本」 の出版を、実現できないものか 。
ポパー の open で fair な思想の一層の浸透のために、 そして この国における 「 開かれた社会 」 の実現のためにも。。。
ポパーは、何よりも、皆で手を携えて一歩づつ 真理 に近づこうとするからこそ、自らを含めた すべての人に 「 知的廉直 」 を求めるのである。
agnosticism ( 不可知論 ) に 沈淪 するのではなく、お互いの自由を尊重し 叡智を結集して 前進して行こう、 と言うのである。
先達であるカントになぞらえて ポパー は呼びかける。 ・ ・ ・ 「 みずから求めて自由であれ、そして万人の自由を尊重し、擁護せよ 」 と 。
カール ポパーが唱える 「 批判的合理主義 ( critical rationalism ) 」 は、 タイトル からは その内容が 把握しづらい訳語 だが、
「 形而上 あるいは 形而下 の区分を問わず あらゆる 仮説 を受け入れ、それらに 客観性あるテスト を加えていくこと ( 験証 ) によって、 より説明力の高い理論を形成し 漸進的に科学の進歩を促して、未知の世界を切り拓いてゆく 」 といった、自由でオープンな 科学上のアプローチ を指す。
平たく言えば、「 お互いの科学仮説を 率直にチェックし合い、必要であれば修正を加えて 皆で少しづつ 科学を前進させよう 」 という考え方である。
基本的な姿勢として、科学上の理論について 「 永久不変の 絶対的な真理 であることの証明 」 は、不可能 と考える。 現時点において 正しい とされている理論については、あくまでも 「 未だ 反証がなされていない、暫定的に 正しい と見做される仮説 」 として位置付ける。
カントが 「 不変の真理 」 と信じた ニュートン力学 が、後に アインシュタイン により否定された事例をわれわれは想起する必要がある、とポパーは繰り返し説いている。
.
本書の英文版は、 ポパーによる論文集 「 Conjectures and Refutations 」 の表題で Routledge社 から出版されている。
特筆すべきことは、本叢書における翻訳の外に、論文集中 表題作品を含む主要2作品について、若き日の 黒田東彦さん( 財務官、アジア開発銀行総裁、 日本銀行総裁 ) が訳出されていることである。
⇒ 碧海純一著 『 批判的合理主義 』 (1974年) 現代思想〈6 清水幾太郎責任編集〉ダイヤモンド社 所収。
黒田さんの翻訳は単なる 彼我の言葉の置き換え ではなく、原文を忠実に読み込んだ、 向学の志 にあふれる青年の 『 清冽な気合 』 が感じられる力のこもった訳文である( 英国留学から帰国された後、東大法学部の法哲学教授であった恩師 碧海純一先生のご推薦があったものと聞く ・・・ おそらくは多忙な業務の一方において、精力的に訳出されたものであろう )。
・ ・ ・ 付言させて頂ければ、本文部分にも増して 物理学、論理学のロジックが入る ポパー特有の詳細かつ膨大な 「 注釈部分 」 の訳出には、 多少のご苦心もお有りではなかったか ・ ・ ・ と拝察申し上げている ( 注釈についても 完璧な訳文であること、論を俟たない)。
本書はポパーの広汎な講演記録や論文をカバーしている関係から、かなり「理科系」の知識が要求される内容を含んでおり、高校生以下の若いひと向けに本書所収の主要論文をピック・アップした より簡便な 「文庫本」 の出版を、実現できないものか 。
ポパー の open で fair な思想の一層の浸透のために、 そして この国における 「 開かれた社会 」 の実現のためにも。。。
ポパーは、何よりも、皆で手を携えて一歩づつ 真理 に近づこうとするからこそ、自らを含めた すべての人に 「 知的廉直 」 を求めるのである。
agnosticism ( 不可知論 ) に 沈淪 するのではなく、お互いの自由を尊重し 叡智を結集して 前進して行こう、 と言うのである。
先達であるカントになぞらえて ポパー は呼びかける。 ・ ・ ・ 「 みずから求めて自由であれ、そして万人の自由を尊重し、擁護せよ 」 と 。
2008年9月11日に日本でレビュー済み
この本でも科学と疑似科学の境界設定が取り上げられる。彼は科学を科学たらしめるものとして帰納的方法を挙げるのを拒否する。占星術師だって星の運行を観察して推論するのだ。科学と疑似科学を分けるのは、その理論に反駁する余地があるかどうかだ。理論修復の機会を拒否する精神分析論の独善的な姿勢、矛盾は大いに結構だとして(分析の精緻化を拒んで)しまうヘーゲル的な弁証法が批判される。形而上学を馬鹿にしているかというとそうでもなく、科学と分けられるのは程度の問題だという感触だ。
理論か観察かという「鶏が先か卵が先か」みたいな問題に対し、彼の答えはいたって単純。「それ以前の卵」…批判を繰り返すことで先に進むのだ。抑圧的になりがちな世論の危険性を示し、合理的な討論の伝統が非常に重要だという。伝統というだけで頭ごなしに否定する態度を批判し、どこまでならそれが使えるかを考えるべきとする。
盟友ハイエクと同様、彼が社会科学に求める役割は「人間がある意図をもってした行為が、社会的には意図しなかった反響を生むことについての説明」だ。マルクス的歴史法則主義にはやはり批判的。
我々は真理に到達しえないかもしれないし、たとえ真理に到達できたとしてもそれを確かめる術を持たない。それでも、事後的には間違うことが運命づけられている説を提唱して研鑽しあうことの重要性を強調している。憂鬱になった研究者の独断のまどろみを覚ます一冊。
理論か観察かという「鶏が先か卵が先か」みたいな問題に対し、彼の答えはいたって単純。「それ以前の卵」…批判を繰り返すことで先に進むのだ。抑圧的になりがちな世論の危険性を示し、合理的な討論の伝統が非常に重要だという。伝統というだけで頭ごなしに否定する態度を批判し、どこまでならそれが使えるかを考えるべきとする。
盟友ハイエクと同様、彼が社会科学に求める役割は「人間がある意図をもってした行為が、社会的には意図しなかった反響を生むことについての説明」だ。マルクス的歴史法則主義にはやはり批判的。
我々は真理に到達しえないかもしれないし、たとえ真理に到達できたとしてもそれを確かめる術を持たない。それでも、事後的には間違うことが運命づけられている説を提唱して研鑽しあうことの重要性を強調している。憂鬱になった研究者の独断のまどろみを覚ます一冊。