著者は1934年生れの比較文化論およびフランス研究者であり、2013年に死去した。本書は、著者最後の論文集である。2013年までの詳しい著作目録が添付されており、幅広く膨大な業績に驚く。フランス研究から出発した著者の国民国家論は、ユニークかつ明晰な論理で、近現代の世界の政治状況を読み解く上で貴重な示唆を与えてくれる。また、朝鮮に生れて苦難の末に占領下の日本に引き上げた経験や、1968年のパリ五月革命を留学中に具に目撃したことは、著者の国民国家論を単なる抽象論（空論）でなく、生き生きした理論として描き出すことに役立っていると考えられる。
本書の構成は、Ⅰ 国民国家再論、Ⅱ 植民地主義の再発見、Ⅲ 多言語・多文化主義、Ⅳ スタンダールと戦後文学、となっており、著者の研究対象をほぼカバーした論文集である（多くは今世紀に執筆）。評者には国民国家論と植民地主義の各論文が刺激的で、非常に興味深かった。著者の「国民国家は植民地主義および戦争と一体である」という痛切なメッセージが現代史を鋭く抉りだす。
著者の国民国家論あるいは国民主義（ナショナリズム）論は、経済・国家・国民・文化統合に関わる幅広い諸要素に目配りした上で、空間・時間・習俗・言語と思考の国民化（文明化）による国民（ナショナリズム）の誕生を考察する、という比較文化論研究者らしい総括的なものである。このようなモデルを設定することで、ヨーロッパ諸国における国民国家誕生と帝国主義や植民地主義はもちろん、日本など「遅れてきた帝国主義国家」、さらには近年の「グローバリズム」（形を変えた21世紀の植民地主義）などを一貫したモデルで考察することが可能になった。つまり本書でいう「植民地主義」とは、国内・国外を問わず、権力・資本力・軍事力により、弱者（個人・集団・地域・企業・国）から強者（個人・集団・地域・企業・国）がプライド・人権・金銭・生命を収奪する仕組みと考えられる。
「11 植民地主義の再発見」（2010年に『長周新聞』に発表）が、コンパクトに著者の主張をまとめていて参考になる。著者はこの論文で、現代の世界中の誰もが、資本、国家、国民、植民地主義、ナショナリズムなどと無関係ではいられないことを指摘する。この中で、植民地主義は旧植民地だけでなく、旧宗主国も同様であり、植民地主義こそが様々な現代の差別主義の源泉なのである。
このことは日本における嫌韓・嫌中などの排他主義、慰安婦問題や南京虐殺事件への極右派の異常な反発、極右派政治家・政党の跋扈、ヘイトスピーチの蔓延、ネトウヨの罵詈雑言、在日への差別、アジア系移民への差別、沖縄への差別、アイヌへの差別、過疎地（例えば原発立地地域や米軍基地設置地域）の差別、という現代日本の日常風景を見れば理解できるであろう。さらに、根深い男尊女卑（男女平等に関して先進国では断トツの最下位）、生活保護者や障害者への差別、などあげていけばきりがない。日本中の多くの中間組織（官庁・警察・自衛隊・スポーツ団体・企業・学校・PTA・地域など）で、絶えないパワハラ・セクハラ・イジメも同根であろう。
さら上記のような、植民地主義とリンクした国民主義（ナショナリズム）こそが戦争と一体なのである。このことは、戦前の日本だけでなく、現在「北朝鮮危機」を煽り立て、戦争への危機感を演出した安倍政権を見ればよく理解できる（最近は、南北朝鮮の和解と米朝対談の動きにより安倍政権は孤立し、その外交下手を世界から嘲笑されるに至っている）。
評者は、近年における日本を含む世界各国での右傾化やナショナリズムの勃興とその根本原因に興味を持って、様々な本を読み漁ってきたが、著名思想家（アーネスト・ゲルナーやベネディクト・アンダーソンなど）の理論の借物がほとんどで、納得できなかった。しかし、本書を読み、国民主義（ナショナリズム）、国家、植民地主義、資本、グローバリズムなど近現代史を読み解くキーワードが有機的に結びつき、頭の中のモヤモヤが晴れた思いである。柄谷行人氏は、『世界史の構造』（岩波書店）で交換様式（互酬、再分配、商品交換）や社会構成体（ネーション、国家、資本）といった壮大な理論を展開したが、やや難解なのが玉に傷である。一方本書では、著者自らが生きてきた歴史を省察し、足が地に付いた視点から近現代史のモデルを生き生きと展開している。国民主義（ナショナリズム）など近現代史と現代世界の最重要キーワードを真に理解したい人には必読の本といえる。
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