世紀末ウィーンで活躍した建築家アドルフ・ロース(1870~1933)の著作集から「主要と思われる文章」の中の「二十四篇を訳出した」本。ウィーン近代建築の父ともいうべきオットー・ワーグナー(1814~1918)やその門下であるオルブリヒ(1867~1908)やホフマン(1870~1956)らウィーン分離派(機能性と美しさを兼ね備えたデザインを重視して、過去の美術様式から分離することを目指した。絵画・建築・工芸などの分野で活発な運動を展開した)に対して、なおも過剰な「装飾」があることを非難した「近代建築の先駆者」ロース。本書の論考は、近代建築論というだけでなく、世紀末ウィーンの社会や文化批評にもなっていて、非常に興味深い。
19世紀のハプスブルグ帝国末期のオーストリアはケーニヒスグレーツの戦い(1866年に行われたプロイセン・オーストリア間の戦争)の敗北によって、ドイツに対する指導的な立場から決定的に離れることになった。それと同時に、軍事力によって維持されていた(と、思われていた)多民族君主国家のまとまりは、ほころびを見せるようになった(すでに1859年にはロンバルディアとトスカーナを失っていたが、1866年にはヴェネツィアもハプスブルグ帝国から分離した)のである。このような、プロイセンに対する政治的・軍事的敗北のさなかでも帝国内での工業化と資本主義は進展したが、首都ウィーンと地方の経済格差や都市部における富裕層と労働者との間の格差による不満とその副産物である反ユダヤ主義(高額所得者に名前を連ねるユダヤ人が数多くいた)、そして民族主義の高まりによる帝国内のチェコ・スロバキア・クロアチアなどのスラブ系とドイツ系の対立など、オーストリアは内憂外患の状況に悩まされていた。
このような状況で、皇帝フランツ・ヨーゼフ(1830~1916)の宮廷は、現実逃避ともいえるような、一見するところでは華麗な“マカルト様式”とも“リングシュトラーセ様式”ともいわれる芸術スタイルを公認していた。皇帝の庇護を受けていた画家のハンス・マカルト(1840~1884)は、“歴史主義(19世紀ヨーロッパにおいて、それまで古代ローマやルネサンス美術に比べて価値が劣ると見なされた中世美術が見直されるようになったのを契機に、過去のあらゆる様式に歴史的な価値が見出され、それぞれが参照するべき手本とされた)”的発想で、“豪奢”に画面を構成することが得意な画家であり、尊敬するバロック絵画の巨匠ルーベンス(1577~1640)に倣ってネオ・バロック様式で作品を描いていた。
一方の“リングシュトラーセ(ウィーンの城壁撤去後の跡地(環状道路)に建てられた官公庁や劇場などの文化施設の建築群)様式”は、ネオ・ギリシャ、ネオ・ゴシック、ネオ・ルネサンスなど様々な過去の様式に倣った“歴史主義”の“豪奢”な建築物のことである。
これらのスタイルを“現代風ではない”と眺めていたのは、“耽美主義”的な芸術家たちであった。
“耽美主義”的な芸術家たちは、文芸ではバールやホフマンスタールらの“若きウィーン派”であり、絵画ではクリムト、建築ではワグナーや“分離派”、工芸・ファッション等では“ウィーン工房”などである。彼らの多数が理想としていたのが、ドイツの作曲家リヒアルト・ワーグナー(1813~1883)が提唱した“総合芸術”であった。ワーグナーにとっては、音楽・絵画・建築・舞踊などの複数の芸術ジャンルが統合したオペラ(楽劇)を作ることであったが、分離派の芸術家らは、人間の生活全般を“総合芸術”にすることを理想とした。彼らは家の設計から部屋の内装、家具、洋服やスリッパなどをデザインした(実際は、新しい芸術活動に興味を持つ富豪しか顧客にならなかった)。
このような“耽美主義”的な芸術家や建築家たちに反発をしたのが、ロースであった。
ロースは、“機能主義”的な発想をする建築家であった。“耽美主義”的芸術家のいう“総合芸術(本書でロースは「応用芸術」として家具や日用品を芸術家たちがデザインし(ロースから見れば)余計な「装飾」をつけることを批判しているが、その背後には“総合芸術”に対する批判的な見解がある)”は、芸術家が住民の生活スタイルを決めようとするものである、としてロースは反発した。
ロースは建築は人間にとって「快適」なものでなくてはならない、と考えていた。その建物がオフィスや店であれば使用者に、そして住居であれば住民の話をよく聞くことによって、彼らの生活での「必要性」や「欲求」を形にすることが、ロースにとっての建築家の仕事なのである。
“マカルト様式”的な“歴史主義”を利用した“豪奢”な「装飾」は「まやかし」に過ぎない、という見解は“耽美主義”的な芸術家たちもロースも同じであったが、“総合芸術”を理想と捉えるか、「(少なくとも、建築に関しては)まやかし」と捉えるかが違っていた。ロースからすれば、生活を芸術化しようとする試みから生まれる「装飾」は、「まやかし」としか考えられなかったのである。(とはいえ、これはロース個人の見解であって、分離派の芸術家たちとロースのどちらが正しいとは言い切れない。分離派やウィーン工房の作品も、ロースの建築に劣らず素晴らしいものが多く、現代でも高く評価されている)
ロースの建築そのものに対する考え方は、「近代建築(19世紀末には鉄筋コンクリートの技術が確立し、高層ビル建築が可能になった)」の時代に相応しいものである。①建築物の形態は、機能や用途に沿ったものであるべきである、②「材料(建築素材)」は建築物の機能や用途に適したものを選ぶべきである、という合理的な考え方である。
このような「近代建築」そのものの志向を持ちながら、もう一方でロースは独自の“歴史主義”的な発想を持っていた。①「古代ローマ」建築こそがヨーロッパ建築の土台であり、常に参照されるべき古典である=ロース個人の「古代ローマ」建築への好み、②「時代、場所、目的、気候それに環境」が「人間の日々の生活欲求」を生みだし、それが「伝統」を形作る(つまりは、「歴史」+その土地に生きる人間の「必要性」、によって「伝統」が形成される)→その土地らしい「建物」ができ、建築に対する美意識が生みだされる→その町や村の「景観」ができる、という考え方である。
ロースは、町や村の「景観」を常に意識し、その自然環境に適応する「建物」にするように配慮し続けた。そして、歴史上のあらゆる様式の優れた建築物に対してリスペクトの念を強く抱いていた。そのうえで、現代を生きる人間に相応しい建築物を建てようと考えたのである。「文化の歩む道とは装飾から解放されて、無装飾へと到る道だ」。「ではゴシック様式の建築はどうか?我々はゴティクの時代の人々よりも進んでいる。ではルネサンス様式の建築はどうか?我々はルネサンス時代の人々よりも進んでいる。我々はより洗練され、上品になった。伝説のアマゾネスの女傑達の戦いぶりが描かれた象牙の酒杯から酒を飲み干すような、ず太い神経を我々は持ちあわせてはいないのだ。昔の技術が失われてしまったのではないか。その通り、それでよいのだ。我々はその代りに、ベートーヴェンの音楽を獲得したのだ。そして我々の神殿は古代ギリシャのパルテノン神殿のように、もはや青や赤、緑そして白色に彩られてはいない。そうだ、我々はなんら手が加えられてはいない、ありのままの石を美しいと感ずることを学んだのだ」。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
装飾と犯罪 ――建築・文化論集 (ちくま学芸文庫) 新書 – 2021/12/13
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,430","priceAmount":1430.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,430","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"26nhd%2BDCJFGnZZKr219Z7JhNI9tuOVIXrK4VCyRkxPNqkdnFJujbkqtCMwpPXfsbtJ9930hA3W5RRYU30VR7zA8FtYvBxj7xdJhxWGTaqg1jwSATCLmZ5HjuQl8otoPyix%2FpFvCizqM%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
近代建築の先駆的な提唱者ロース。有名な「装飾は犯罪である」をはじめとする痛烈な文章の数々に、モダニズムの強い息吹を感じさせる代表的論考集。===ハプスブルグ帝国の末期に生まれ育ちながら、近代建築の地平を切り拓いた先駆者ロース。その装飾を排した建築作品は、当時のウィーン社会において物議を醸すことになる。文筆活動においても舌鋒鋭くラディカルな文化社会批評を展開したが、本書はそのうち重要な論考を精選した一冊である。有名な「装飾は犯罪である」をはじめとした過激な発言に満ちている一方で、ギリシャ・ローマを範とするような古典主義的な思考も随所に覗く。幅広い交友関係を反映して、シェーンベルクやココシュカなども登場。急速な変化を遂げる激動の世紀末・20世紀初頭のウィーンを中心に、モダニズムの強い息吹に触れることができる。===装飾が生みだされないことこそ我々の時代が偉大な証だ――近代建築の過激な夜明け===【目次】ウィーン・プラターの旧万国博覧会、ロトンダ展示会場において展示された室内空間についてデラックスな馬車について建築材料(マテリアル)について被覆の原則についてポチョムキンの都市女性と家建築における新・旧二つの方向 ── 最近のウィーンの芸術思潮を十分考慮した上での比較検討馬具職人ウィーンにおける最も素晴しい内部空間、最も美しい貴族の邸館、最も美しいが近々取り壊しの運命にある建築物、最も美しい新建築、最も美しい散歩道住居の見学会余計なこと(ドイツ工作連盟)文化の堕落について装飾と犯罪ミヒャエル広場に面して立つ建物についての二つの覚え書とその補章建築について私の建築学校ベートーヴェンの病める耳カール・クラウス郷土芸術についてペーター・アルテンベルクとの別れにあたって住まうことを学ぼう!シカゴ・トリビューン新聞社社屋 ── 柱コラムとしての建築アーノルト・シェーンベルクと同時代人達近代の集合住宅ヨーゼフ・ファイリッヒオスカー・ココシュカ訳註・解説
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2021/12/13
- 寸法10.6 x 1.4 x 14.8 cm
- ISBN-104480510893
- ISBN-13978-4480510891
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 装飾と犯罪 ――建築・文化論集 (ちくま学芸文庫)
¥1,430¥1,430
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り5点(入荷予定あり)
¥1,760¥1,760
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り9点(入荷予定あり)
¥2,200¥2,200
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り10点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
Adolf Loos,1870年12月10日 - 1933年8月23日ハプスブルグ帝国時代末期のブルノ(現チェコ)に生まれる。世紀末ウィーンにおける装飾性を批判し、モダニズム建築の先駆者となる。代表作に、カフェ・ムゼウム、アメリカンバー、シュタイナー邸、ロースハウス、ミュラー邸などがある。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2021/12/13)
- 発売日 : 2021/12/13
- 言語 : 日本語
- 新書 : 368ページ
- ISBN-10 : 4480510893
- ISBN-13 : 978-4480510891
- 寸法 : 10.6 x 1.4 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,001位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8位民家・住宅論 (本)
- - 9位西洋の建築 (本)
- - 118位ちくま学芸文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年9月28日に日本でレビュー済み
2014年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ただいまWienとPrahaに来ている。途中著者の出身地のBrunoも通過した。Wienはまさにアドルフ・ロースのポチョムキンの都市である。Prahaもそう呼んでよいと思う。芸術大学の教科書としてWienで読んでいるが、この本は建築に関する様々なトピックを随筆風に扱ったものである。彼によれば、Wien(恐らくPrahaも)の装飾はパプア人の刺青と同じで文化水準の低さであり、文化の進歩とは日常使用するものから装飾を除くことである。
Wien(Prahaも)は、その時代ものでないfaçadeを打ちつけ固定し、ルネサンス様式やバロック様式のイミテーション建築物を作り、他の人達にそのように見せるようにしている、と。建築家オットー・ワーグナーの機能主義的視点「芸術は必要にのみ従う」から、ロースはさらに先の「装飾は犯罪である」と主張している。
今回彼のこの視点からWienやPraha を見てみた。「そう。確かに偽物イミテーションばかりだね」、「でもゴティック様式、ルネサンス様式も良いね。バロックなんて最高!」と言ってしまいそう。この本のおかげで、WienやPrahaの美しい装飾の建築物を見る時、「装飾は犯罪」か~と言いながら、その様式の美を堪能している。WienやPrahaの建築物を見るとき、理解が一段と深くなるので、建築に関心ある方には是非この本を読むことをお勧めする。
Wien(Prahaも)は、その時代ものでないfaçadeを打ちつけ固定し、ルネサンス様式やバロック様式のイミテーション建築物を作り、他の人達にそのように見せるようにしている、と。建築家オットー・ワーグナーの機能主義的視点「芸術は必要にのみ従う」から、ロースはさらに先の「装飾は犯罪である」と主張している。
今回彼のこの視点からWienやPraha を見てみた。「そう。確かに偽物イミテーションばかりだね」、「でもゴティック様式、ルネサンス様式も良いね。バロックなんて最高!」と言ってしまいそう。この本のおかげで、WienやPrahaの美しい装飾の建築物を見る時、「装飾は犯罪」か~と言いながら、その様式の美を堪能している。WienやPrahaの建築物を見るとき、理解が一段と深くなるので、建築に関心ある方には是非この本を読むことをお勧めする。
2016年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロースが当時批判を受けた事もこの本で分かりました。眉と呼ばれる当時どの建物にもあった窓の上のギリシャ・ローマ調の庇を取ったこと。これは室内で火災が出た場合ガラスを割り、火炎が上階の部屋に入るのを防ぎましたが、ロースはこれをやめました。批判も当然と思います。
2017年5月11日に日本でレビュー済み
およそ1世紀前に著されたものであるのに、その言葉はなんら古びておらず、生き生きとして辛辣。自然な訳文に、翻訳者の力量とロースへの深い理解も感じざるをえない。
2023年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は共感できる部分が多々ありました。
ただ、現代に生きるものにとってこの本は批判されるほどの内容ではないかな、、
ロースの建築を見ると、外観はすっきりしているが内装は装飾的で、本の内容とマッチしていないなと感じてしまいます。(ライトに似た雰囲気)
建築の歴史書の一つとして読んでみるべきでしょう。
ただ、現代に生きるものにとってこの本は批判されるほどの内容ではないかな、、
ロースの建築を見ると、外観はすっきりしているが内装は装飾的で、本の内容とマッチしていないなと感じてしまいます。(ライトに似た雰囲気)
建築の歴史書の一つとして読んでみるべきでしょう。
2009年3月9日に日本でレビュー済み
「建築材料について」「被覆の原則について」「女性と家」「住居の見学会」「装飾と犯罪」「建築について」「住まうことを学ぼう!」「近代の集合住宅」など、かなり身近な内容について語られているのは予想外。
ロースが装飾を否定する最初の発言は、1898年7月の「デラックスな馬車について」におけるものとされており、具体的に以下のように述べられている。
「美を形態においてのみ見出すこと、装飾とは無関係とすること、これこそが全人類が目指す目標である」
上述の過激な発言とは裏腹に、非常に身近で親しみ感を抱くような発言が多いのも特徴的なので、その幾つかを挙げてみる。
・「建築家に与えられた課題とは、言ってみれば暖かな、居心地の良い空間をつくり出すことである」
・「自分の住まいを持ちたいという夢だけが、結婚を促す動機なのである。」
・「建築材料を手懸りに、本来、その材料に備わっていない感覚を人に喚起しようとするのが建築家」
さらに近代の集合住宅の在り方について、あまりに具体的かつ詳細に語っているのは、若干の違和感を覚えつつも興味深い。その中で、重要視されているものを、指摘の順に挙げてみる。
・庭(住居は二の次)
・水洗でない、離れの便所
・庭に置かれた物置小屋と家畜小屋
・居間・食堂と一体となった厨房
・家の中心的存在となる火
・居間から分離された寝室
・大きな食品庫
上記の微妙な指摘は、人間活動の詳細な観察から導き出された結果ということだろうが、そこには「新しくつくられた形態というものが、文化の形態(座り方・住まい方・食べ方等々)に影響を及ぼし、これを変えていくことができる」のではなく、「使い方への要求が文化の形態を、ものの形態をつくり出していく」とするロースの思想がよく表れている。
そしていよいよ、1908年に草稿されたと言われる「装飾と犯罪」へ。このあまりにも有名かつインパクトある名言だけが独り歩きしている感もあるが、「一国の文化の程度は、便所の壁の落書きの程度によって推し測ることができるというものだ」という、ユニークな例えから始まる。
そこから議論は進展し、「文化の進化とは日常使用するものから装飾を除くということと同義」であり、「我々には芸術がある。装飾は必要ない」と言い放つ。さらに、「装飾がないということは、精神的な強さのしるし」であり、「近代人とは、自分の創意・工夫の才を他のものに集中するものである」と断言する。
言い方は極端だが、その真意は以下の言葉に表れている。
「建物は外に向かっては沈黙を守り、これに対して内部においては豊饒な世界が展開するようにしたい」
1922年、ロース設計の「シカゴ・トリビューン社計画案」を見てしまうと、今までの議論がすべて説得力を失うように感じてしまうのは、浅はかだろうか・・・
ロースが装飾を否定する最初の発言は、1898年7月の「デラックスな馬車について」におけるものとされており、具体的に以下のように述べられている。
「美を形態においてのみ見出すこと、装飾とは無関係とすること、これこそが全人類が目指す目標である」
上述の過激な発言とは裏腹に、非常に身近で親しみ感を抱くような発言が多いのも特徴的なので、その幾つかを挙げてみる。
・「建築家に与えられた課題とは、言ってみれば暖かな、居心地の良い空間をつくり出すことである」
・「自分の住まいを持ちたいという夢だけが、結婚を促す動機なのである。」
・「建築材料を手懸りに、本来、その材料に備わっていない感覚を人に喚起しようとするのが建築家」
さらに近代の集合住宅の在り方について、あまりに具体的かつ詳細に語っているのは、若干の違和感を覚えつつも興味深い。その中で、重要視されているものを、指摘の順に挙げてみる。
・庭(住居は二の次)
・水洗でない、離れの便所
・庭に置かれた物置小屋と家畜小屋
・居間・食堂と一体となった厨房
・家の中心的存在となる火
・居間から分離された寝室
・大きな食品庫
上記の微妙な指摘は、人間活動の詳細な観察から導き出された結果ということだろうが、そこには「新しくつくられた形態というものが、文化の形態(座り方・住まい方・食べ方等々)に影響を及ぼし、これを変えていくことができる」のではなく、「使い方への要求が文化の形態を、ものの形態をつくり出していく」とするロースの思想がよく表れている。
そしていよいよ、1908年に草稿されたと言われる「装飾と犯罪」へ。このあまりにも有名かつインパクトある名言だけが独り歩きしている感もあるが、「一国の文化の程度は、便所の壁の落書きの程度によって推し測ることができるというものだ」という、ユニークな例えから始まる。
そこから議論は進展し、「文化の進化とは日常使用するものから装飾を除くということと同義」であり、「我々には芸術がある。装飾は必要ない」と言い放つ。さらに、「装飾がないということは、精神的な強さのしるし」であり、「近代人とは、自分の創意・工夫の才を他のものに集中するものである」と断言する。
言い方は極端だが、その真意は以下の言葉に表れている。
「建物は外に向かっては沈黙を守り、これに対して内部においては豊饒な世界が展開するようにしたい」
1922年、ロース設計の「シカゴ・トリビューン社計画案」を見てしまうと、今までの議論がすべて説得力を失うように感じてしまうのは、浅はかだろうか・・・