とても興味深く読ませて頂きました。ただ、ページのレイアウトが少しうるさいというか、こんなにも文字のポイントを変えなくてもいいのではと思いました。内容は充分面白いのにかえって安っぽく見えて残念です。「最後の一文」ですが、「最初の一文」からの考察、とても良かったです。
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最後の一文 単行本 – 2019/9/25
半沢幹一
(著)
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終わりよければすべて良し?!
名作の終わり方の謎を解く。
あの名作の最後の一文、あなたは知っていますか?
明治の文豪から、現役の有名作家まで、計50の文学作品をとりあげ、それぞれの「最後の一文」から読み解ける終わり方の謎を解説しています。
各作品の「最後」が「最初」とどのような関係にあるのかに注目。
作家が終わり方に苦心し、終わりを何度も書き改めたり、終わり方から物語全体を組み立てたり…といったことまでしていたことが明かされていきます。
取り上げられる作品は、国語の教科書の定番作品(太宰治『走れメロス』、芥川龍之介『羅生門』)や、文豪の名作(夏目漱石『夢十夜』、森鴎外『舞姫』)、ノーベル賞作家(川端康成、大江健三郎)の作品や、ベストセラー作家(村上春樹、浅田次郎、東野圭吾など)、人気の作家(森見登美彦、新海誠など)の作品等々。
老若男女、読書の好きな人もそうでない人もアクセスしやすいラインナップで、実際にその作品を手に取って読んでみたくなる最適なブックガイドにもなっています。
目次
まえがき
1 教科書に載っているあの作品
太宰治「走れメロス」
芥川龍之介「羅生門」
宮沢賢治「やまなし」
森鴎外「舞姫」
葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」
安岡章太郎「サーカスの馬」
中島敦「山月記」
山川方夫「夏の葬列」
寺山修司「線の少女」
小川洋子「愛されすぎた白鳥」
2 名作の終わり方
夏目漱石「夢十夜 第一夜」
梶井基次郎「檸檬」
二葉亭四迷「浮雲」
国木田独歩「忘れえぬ人々」
志賀直哉「小僧の神様」
川端康成「有難う」
北条民雄「いのちの初夜」
谷崎潤一郎「私」
安部公房「無関係な死」
三島由紀夫「憂国」
3 仕掛けるドラマ
向田邦子「かわうそ」
森見登美彦「走れメロス」
浅田次郎「特別な一日」
乃南アサ「向日葵」
池波正太郎「妙音記」
山本周五郎「墨丸」
藤沢周平「山桜」
平野肇「谷空木」
東野圭吾「宿命」
井上ひさし「四十一番の少年」
4 文豪の苦心と微笑み
井伏鱒二「山椒魚」
江戸川乱歩「日記帳」
横光利一「機械」
田山花袋「少女病」
岡本かの子「家霊」
坂口安吾「桜の森の満開の下」
尾崎一雄「虫のいろいろ」
大岡昇平「…
名作の終わり方の謎を解く。
あの名作の最後の一文、あなたは知っていますか?
明治の文豪から、現役の有名作家まで、計50の文学作品をとりあげ、それぞれの「最後の一文」から読み解ける終わり方の謎を解説しています。
各作品の「最後」が「最初」とどのような関係にあるのかに注目。
作家が終わり方に苦心し、終わりを何度も書き改めたり、終わり方から物語全体を組み立てたり…といったことまでしていたことが明かされていきます。
取り上げられる作品は、国語の教科書の定番作品(太宰治『走れメロス』、芥川龍之介『羅生門』)や、文豪の名作(夏目漱石『夢十夜』、森鴎外『舞姫』)、ノーベル賞作家(川端康成、大江健三郎)の作品や、ベストセラー作家(村上春樹、浅田次郎、東野圭吾など)、人気の作家(森見登美彦、新海誠など)の作品等々。
老若男女、読書の好きな人もそうでない人もアクセスしやすいラインナップで、実際にその作品を手に取って読んでみたくなる最適なブックガイドにもなっています。
目次
まえがき
1 教科書に載っているあの作品
太宰治「走れメロス」
芥川龍之介「羅生門」
宮沢賢治「やまなし」
森鴎外「舞姫」
葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」
安岡章太郎「サーカスの馬」
中島敦「山月記」
山川方夫「夏の葬列」
寺山修司「線の少女」
小川洋子「愛されすぎた白鳥」
2 名作の終わり方
夏目漱石「夢十夜 第一夜」
梶井基次郎「檸檬」
二葉亭四迷「浮雲」
国木田独歩「忘れえぬ人々」
志賀直哉「小僧の神様」
川端康成「有難う」
北条民雄「いのちの初夜」
谷崎潤一郎「私」
安部公房「無関係な死」
三島由紀夫「憂国」
3 仕掛けるドラマ
向田邦子「かわうそ」
森見登美彦「走れメロス」
浅田次郎「特別な一日」
乃南アサ「向日葵」
池波正太郎「妙音記」
山本周五郎「墨丸」
藤沢周平「山桜」
平野肇「谷空木」
東野圭吾「宿命」
井上ひさし「四十一番の少年」
4 文豪の苦心と微笑み
井伏鱒二「山椒魚」
江戸川乱歩「日記帳」
横光利一「機械」
田山花袋「少女病」
岡本かの子「家霊」
坂口安吾「桜の森の満開の下」
尾崎一雄「虫のいろいろ」
大岡昇平「…
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社笠間書院
- 発売日2019/9/25
- ISBN-104305708973
- ISBN-13978-4305708977
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商品の説明
著者について
1954年、岩手県生まれ。東北大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。日本語表現学。共立女子大学文芸学部教授。表現学会理事。主な著書に、『題名の喩楽』(明治書院)、『表現の喩楽』(同)、『言語表現喩像論』(おうふう)、『向田邦子の思い込みトランプ』(新典社)など、共編著に『日本語文章・文体・表現事典』(朝倉書店)、『日本語表現学を学ぶ人のために』(世界思想社)、『日本語表現法』(三省堂),『ケーススタディ日本語の表現』(おうふう)など。
登録情報
- 出版社 : 笠間書院 (2019/9/25)
- 発売日 : 2019/9/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 228ページ
- ISBN-10 : 4305708973
- ISBN-13 : 978-4305708977
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- - 103,298位文学・評論 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宮沢賢治「やまなし」の章
さらさらと流れる川の中で
「クランボンはわらったよ」と二疋の子蟹の第1章が始まる。
読後、川底を淡々と伝えているだけで、
何が言いたいのかわからない。
意味を捉えなければ...と焦りばかりが募った思い出がある。
最初の一文
「小さなカニ側の底を写した二枚の青い幻燈です」
そして、最後の一文
「私の幻燈はこれでおしまいであります」
この二文に挟まれた作品だと、
指摘されてそういえばと気づく始末だった。
「元になった二枚の画像がどういうものであったかを、
読み手に想像させることにあったのではないでしょうか」 と著者は語る。
もしかしたら、意味を捉える必要がなかった。
物語の絵を描いてほしかった、ということか。
「最初の一文は、名文が多い...
最後の一文は、記憶に残っていない」と著者が言う。
読み落としていた一文に、新しい小説の読み方を知った。
さらさらと流れる川の中で
「クランボンはわらったよ」と二疋の子蟹の第1章が始まる。
読後、川底を淡々と伝えているだけで、
何が言いたいのかわからない。
意味を捉えなければ...と焦りばかりが募った思い出がある。
最初の一文
「小さなカニ側の底を写した二枚の青い幻燈です」
そして、最後の一文
「私の幻燈はこれでおしまいであります」
この二文に挟まれた作品だと、
指摘されてそういえばと気づく始末だった。
「元になった二枚の画像がどういうものであったかを、
読み手に想像させることにあったのではないでしょうか」 と著者は語る。
もしかしたら、意味を捉える必要がなかった。
物語の絵を描いてほしかった、ということか。
「最初の一文は、名文が多い...
最後の一文は、記憶に残っていない」と著者が言う。
読み落としていた一文に、新しい小説の読み方を知った。
2019年9月26日に日本でレビュー済み
一気読みしました。
この本で取り上げられた作品は、学生の頃に授業の中で細かく分解したり、主人公の気持ちを想像したり、という関わり方をしてきたものも多く、私の中では国語の授業の教材としてしか記憶に残っていなかったり、全く記憶に残っていないものばかり。
それなのに、それぞれの作品を「最後の一文」から読み解いていくのが面白くて、「この作品を読みたい!」と思ったものが多かったです。
この本を読んだあと、すぐに注文したのは
・小川洋子『おとぎ話の忘れ物』
・山本周五郎『日本婦道記』
・藤沢周平 『時雨みち』
大好きで何度も読んだのに、もう一度引っ張り出してきたのが
・川上弘美 『センセイの鞄』
『最後の一文』は、長く手元に置いて何度でも楽しむことができそうです。
文学的とは程遠い日常を送る私が、ちょっぴり文学的な気持ちを味わった一冊です。
この本で取り上げられた作品は、学生の頃に授業の中で細かく分解したり、主人公の気持ちを想像したり、という関わり方をしてきたものも多く、私の中では国語の授業の教材としてしか記憶に残っていなかったり、全く記憶に残っていないものばかり。
それなのに、それぞれの作品を「最後の一文」から読み解いていくのが面白くて、「この作品を読みたい!」と思ったものが多かったです。
この本を読んだあと、すぐに注文したのは
・小川洋子『おとぎ話の忘れ物』
・山本周五郎『日本婦道記』
・藤沢周平 『時雨みち』
大好きで何度も読んだのに、もう一度引っ張り出してきたのが
・川上弘美 『センセイの鞄』
『最後の一文』は、長く手元に置いて何度でも楽しむことができそうです。
文学的とは程遠い日常を送る私が、ちょっぴり文学的な気持ちを味わった一冊です。
2021年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実は自分でも小説を書いてみようと思ったものの、書き出しの重要性はどんなガイドブックでも触れられているのだけれど、最後の一文の扱い方に触れているガイドブックというのを初めて見かけたので購入してみた。最初の一文と最後の一文との関係性を知る上で大いに役立った。
2020年1月5日に日本でレビュー済み
誰もが一度は読んだことのあるであろう作品から、一度も読んだことがない作品まで幅広く紹介されており、内容を知らない作品でも最初と最後の一文だけで十分興味を持って読み進めることができました。一つの作品につき4ページで短くまとめてあるので、空いた時間に少しづつ読むのにもぴったりです。
2020年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者の探究心を感じる貴重な本です。
作品研究に役立ちます。
作品研究に役立ちます。
2019年10月21日に日本でレビュー済み
本書のタイトルについて、著者は「おわりに」(224頁)でその経緯について担当編集者の関与があったことを示唆している。確かに本書は文芸小説作品等の『最後の一文』を端緒とした趣旨にはあるが、実質的にはこれと対照的位置付けにある“冒頭文”も含めた作品全体、作者、作品背景、事実関係性等(これらを当該小説作品・作者に対する“著者の哲学”と観ても良い)を1トピック(作品)あたり概ね4頁で展開したものである。著者の哲学的視点(解説・評釈)はタイトル・趣旨の通り当該作品の『最後の一文』(及び“冒頭文”)にあるが、そもそも粗筋自体が全作品に充分に付されているとも言えないので(あっても些か物足りない)、当該作品等の解説又は評釈以前の前提として、読者には取り上げられた作品等につき一定程度の知識・粗筋(できれば読書済み)が求められる。そうでないと著者の哲学(評釈又は『最後の一文』への視点)の意義、読者感想・意見との異同が検証できない。係る意味では本書は文芸小説等の単なる解説書ではなくて、文芸小説作品等に読み解く著者独自の哲学又は右作品に隠れた作者像の評論と言えるが、他方不充分な粗筋・内容といわゆる“ネタバレ”があるので、当該作品への“読者の誘い”の志向性は些か脆弱である。
係る過去の文芸小説作品を題材としつつ趣旨・評釈等の“切り口”を著者独自の視点から刊行された先行書に『 すごい言い訳! 』(新潮社・中川越)、『 文豪たちの悪口本 』(彩図社文芸部)等があるが、私見ながら内容・趣旨は異なっても過去の文芸小説作品を用いての著者視点解説・評釈の“方法”としては本書も右先行書の類書と観うる。本書は右先行書とは趣が異なるところ、対象文芸小説作品に対する著者独自の哲学(+読解・作者像等)が前面に強く押し出されているので、読者が事前に当該作品を細かい部分まで読み解いていないと本書の価値共感・異論を持てない。私など正直に言えば、本書で取り上げている文芸小説作品のうち読んだか又は知識のある作品は、恐らく1/2はなくあっても1/3程度以下だろう。しかも近年流行りの作家は全滅(5章作者群ほか:ただO氏作品だけは信条的に読まない)、読んだか又は知識のある作品は、中学・高校時代が中心(大学以降は小説を読む時間など無かった)なので記憶も覚束ない始末であった。
そんな中で読んでいないと著者独自哲学(読解)について判断しかねる典型例として、まず葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』(1926年)を挙げたい。私はこの作品を本書で初めて知ったが(プロレタリア文学は中学時代に『蟹工船』で私の性向と完全な不一致を確信)、著者は返事につき「おそらくは、書かなかった」(35頁)と言う。果たしてそう言いきれるだろうか。粗筋が過小で詳細な背景描写が薄い印象ながら「まったく宛のない手紙」であったとしつつ(35頁)、原文に「あなたが“労働者”だったら、私をかわいそうだと思って、お返事ください」とある(“”は筆者・34頁)。これを読んだ主人公の酔った勢いの主観的状況描写と右叙述だけで、著者が主人公の返事を否定する理由に「ただ、彼女はまともに弔われることのなかった恋人の死の事実を、ともかく書き残しておきたかった」ことと結論することに、少なくとも当該小説作品の全てを知らない私には(著者の説明・引用の限りでは)説得力を欠き読み取れない。あくまで本書で紹介・評釈された内容・引用紹介等に基づく限り、むしろ本作品が「プロレタリア文学」作品であること、手紙の文言に「労働者だったら」の1句に意味があると捉えるべきこと(手紙の意図から観て些か不自然又は作者の作為的な言い回しである)、酔った主人公の一言(34頁)は返事を書くことの細君への“照れ隠し”と観るべきだろう。従って逆に“返事を書いた”と観た方が前記状況(の総合的な斟酌)からすると素直な読み方でありかつ自然である。
他方、(知る作品はほぼ全てだが)記憶の呼び起こしが必要だったものに井伏鱒二の『山椒魚』がある。余談だが、私は山椒魚と蛙が穴蔵(正しくは「岩屋」)に嵌まり込んだ契機をすっかり忘れていた。著者が指摘するように、この2匹の最後の会話は微妙ながら正しく整合しないし、末尾削除の有無に伴う読後観(≒座りの悪さ)はその通りだろう(145頁)。また本書で改めて小説作者の姿勢を確信した人物が志賀直哉(74~77頁)である。私は高校時代?辺りで『暗夜行路』は読んでいるが、太宰治が吐露した右作品への評価と類似する感想を持っている。本作品『小僧の神様』は知らなかったが、本書では「小僧に施しをすることに対する『あの客』のためらいの心境を、くどいくらいに描いてい」ると言う、著者の読解の端緒の1つとなる重要な状況紹介がある。ここに「小僧」の願いを(主人公が)良心から叶えることにつき「施し」への「ためらい」の必然性、かてて加えて「変に淋しい気持ち」とまで敢えて表現すべき理由は私には些かも読み取れない。そうすべき理由自体が志賀直哉の作風又は信条と思うと、彼の作品は何年経っても私には合わないことに今更ながら確信する。
その他難解用語でお馴染みの中島敦『山月記』の著者の言う「人を食った話」は非常に示唆的である(43頁)。一方で(歴史的に正しくは「羅城門」ながら)芥川作品定番の古典(『今昔物語』)からのオマージュ?と言うべき作品【追記※1参照】、『羅生門』における「下人」について、著者が『最後の一文』をして「それ以前およびそれ以後の下人についてはいっさい関知しない」と観るのは当該内容・作品論脈から観ても整合しないし共感できない。「それ以前」の老婆の(仕事の)理由‐寧ろ自己正当化の動機付け‐から老婆を追い剥ぎして逃走した当人が「下人」なのであるから、もう少し文脈に素直に「それ以前」はこの物語そのものと解すべきだろう。次が鴎外作品【追記※2参照】の『舞姫』、著者は「国家的な使命を帯びての留学で…個人的な…事情など取るに足らないこととみなされていた…あえて一人の人間としての煩悶を描いた」との“好意的解釈”を見せつつ、その背景(自伝的性質及び諸事情)を婉曲に示唆するが些か疑問が残る。彼は帰国後に役人(官僚)としても、当時流行した「脚気」を巡る政治的発言や北里柴三郎への批判など種々議論の伴う人物で(参考:『 生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究 (河出文庫) 』仲野徹著)、私見ながら本作品を含め“小説家及び政治的言動・姿勢”等につき総合的に斟酌すると彼には積極的評価を躊躇う。以上のように、個別には冒頭初段等で適示した内容不知作品の紹介の不充分は散見されるが、読書契機と考えれば面白い趣旨の1冊であろう。
【追記:※1】
著名な芥川作品に『蜘蛛の糸』があるが、仏教的説話ながら出典は明確でない。私の小学校高学年時代の国語教科書にあった。恐らく教育指導要領に沿ったのだろう、担当教師はカンダタが後に続く罪人達を(大声で怒鳴り)拒絶、1人で糸を独占しようとした行いが天罰となり糸が切れて元に戻ってしまった云々との結論を説いたことに、当時生意気な(理屈っぽい)私は猛然と反論したのを良く覚えている。即ち“元より細くて切れやすい蜘蛛の糸なのであるから、カンダタの後から際限なく罪人達が登ったら、カンダタが喚く‐独占する‐以前に切れるはずだ!それ故、お釈迦様は最初からカンダタを救う気はなかった!(従って先生の結論は失当である)”ような事を、勿論子供なりの言葉で必死に訴えた記憶が未だに残っている。当の先生の回答は覚えていないが、国語の評点は「5」(5段階相対評価)だった。
【追記:※2】
鴎外には、大学時代の文学講義(一般教養)の期末試験での思い出がある。普段の講義は講師の説く音楽(当時のヒット曲等)を聴いて、詩部分の音楽性の評釈(端的には講師の音楽的嗜好性?)を聴くものだった。ところが期末試験ではテキストでも触れていない、確か鴎外作品(作品名は失念)の評釈を指示された観点から論述するものだったように記憶する。私は全く分からず、他の受講者も開始早々から退出者が続出した。折角の1年間の聴講も無駄にしたくなかったので(白紙では採点されない)、私は覚悟を決め問題文を傍線で削除し、勝手に問題文を書き変えて(≒“漱石の『こころ』における唯心論的本質”のようなものと記憶)解答用紙裏面まで使って書きこんだ…結果、成績は「可」(=合格下限の60~70点)であった(不本意な成績と思った私はツワモノか?)。
係る過去の文芸小説作品を題材としつつ趣旨・評釈等の“切り口”を著者独自の視点から刊行された先行書に『 すごい言い訳! 』(新潮社・中川越)、『 文豪たちの悪口本 』(彩図社文芸部)等があるが、私見ながら内容・趣旨は異なっても過去の文芸小説作品を用いての著者視点解説・評釈の“方法”としては本書も右先行書の類書と観うる。本書は右先行書とは趣が異なるところ、対象文芸小説作品に対する著者独自の哲学(+読解・作者像等)が前面に強く押し出されているので、読者が事前に当該作品を細かい部分まで読み解いていないと本書の価値共感・異論を持てない。私など正直に言えば、本書で取り上げている文芸小説作品のうち読んだか又は知識のある作品は、恐らく1/2はなくあっても1/3程度以下だろう。しかも近年流行りの作家は全滅(5章作者群ほか:ただO氏作品だけは信条的に読まない)、読んだか又は知識のある作品は、中学・高校時代が中心(大学以降は小説を読む時間など無かった)なので記憶も覚束ない始末であった。
そんな中で読んでいないと著者独自哲学(読解)について判断しかねる典型例として、まず葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』(1926年)を挙げたい。私はこの作品を本書で初めて知ったが(プロレタリア文学は中学時代に『蟹工船』で私の性向と完全な不一致を確信)、著者は返事につき「おそらくは、書かなかった」(35頁)と言う。果たしてそう言いきれるだろうか。粗筋が過小で詳細な背景描写が薄い印象ながら「まったく宛のない手紙」であったとしつつ(35頁)、原文に「あなたが“労働者”だったら、私をかわいそうだと思って、お返事ください」とある(“”は筆者・34頁)。これを読んだ主人公の酔った勢いの主観的状況描写と右叙述だけで、著者が主人公の返事を否定する理由に「ただ、彼女はまともに弔われることのなかった恋人の死の事実を、ともかく書き残しておきたかった」ことと結論することに、少なくとも当該小説作品の全てを知らない私には(著者の説明・引用の限りでは)説得力を欠き読み取れない。あくまで本書で紹介・評釈された内容・引用紹介等に基づく限り、むしろ本作品が「プロレタリア文学」作品であること、手紙の文言に「労働者だったら」の1句に意味があると捉えるべきこと(手紙の意図から観て些か不自然又は作者の作為的な言い回しである)、酔った主人公の一言(34頁)は返事を書くことの細君への“照れ隠し”と観るべきだろう。従って逆に“返事を書いた”と観た方が前記状況(の総合的な斟酌)からすると素直な読み方でありかつ自然である。
他方、(知る作品はほぼ全てだが)記憶の呼び起こしが必要だったものに井伏鱒二の『山椒魚』がある。余談だが、私は山椒魚と蛙が穴蔵(正しくは「岩屋」)に嵌まり込んだ契機をすっかり忘れていた。著者が指摘するように、この2匹の最後の会話は微妙ながら正しく整合しないし、末尾削除の有無に伴う読後観(≒座りの悪さ)はその通りだろう(145頁)。また本書で改めて小説作者の姿勢を確信した人物が志賀直哉(74~77頁)である。私は高校時代?辺りで『暗夜行路』は読んでいるが、太宰治が吐露した右作品への評価と類似する感想を持っている。本作品『小僧の神様』は知らなかったが、本書では「小僧に施しをすることに対する『あの客』のためらいの心境を、くどいくらいに描いてい」ると言う、著者の読解の端緒の1つとなる重要な状況紹介がある。ここに「小僧」の願いを(主人公が)良心から叶えることにつき「施し」への「ためらい」の必然性、かてて加えて「変に淋しい気持ち」とまで敢えて表現すべき理由は私には些かも読み取れない。そうすべき理由自体が志賀直哉の作風又は信条と思うと、彼の作品は何年経っても私には合わないことに今更ながら確信する。
その他難解用語でお馴染みの中島敦『山月記』の著者の言う「人を食った話」は非常に示唆的である(43頁)。一方で(歴史的に正しくは「羅城門」ながら)芥川作品定番の古典(『今昔物語』)からのオマージュ?と言うべき作品【追記※1参照】、『羅生門』における「下人」について、著者が『最後の一文』をして「それ以前およびそれ以後の下人についてはいっさい関知しない」と観るのは当該内容・作品論脈から観ても整合しないし共感できない。「それ以前」の老婆の(仕事の)理由‐寧ろ自己正当化の動機付け‐から老婆を追い剥ぎして逃走した当人が「下人」なのであるから、もう少し文脈に素直に「それ以前」はこの物語そのものと解すべきだろう。次が鴎外作品【追記※2参照】の『舞姫』、著者は「国家的な使命を帯びての留学で…個人的な…事情など取るに足らないこととみなされていた…あえて一人の人間としての煩悶を描いた」との“好意的解釈”を見せつつ、その背景(自伝的性質及び諸事情)を婉曲に示唆するが些か疑問が残る。彼は帰国後に役人(官僚)としても、当時流行した「脚気」を巡る政治的発言や北里柴三郎への批判など種々議論の伴う人物で(参考:『 生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究 (河出文庫) 』仲野徹著)、私見ながら本作品を含め“小説家及び政治的言動・姿勢”等につき総合的に斟酌すると彼には積極的評価を躊躇う。以上のように、個別には冒頭初段等で適示した内容不知作品の紹介の不充分は散見されるが、読書契機と考えれば面白い趣旨の1冊であろう。
【追記:※1】
著名な芥川作品に『蜘蛛の糸』があるが、仏教的説話ながら出典は明確でない。私の小学校高学年時代の国語教科書にあった。恐らく教育指導要領に沿ったのだろう、担当教師はカンダタが後に続く罪人達を(大声で怒鳴り)拒絶、1人で糸を独占しようとした行いが天罰となり糸が切れて元に戻ってしまった云々との結論を説いたことに、当時生意気な(理屈っぽい)私は猛然と反論したのを良く覚えている。即ち“元より細くて切れやすい蜘蛛の糸なのであるから、カンダタの後から際限なく罪人達が登ったら、カンダタが喚く‐独占する‐以前に切れるはずだ!それ故、お釈迦様は最初からカンダタを救う気はなかった!(従って先生の結論は失当である)”ような事を、勿論子供なりの言葉で必死に訴えた記憶が未だに残っている。当の先生の回答は覚えていないが、国語の評点は「5」(5段階相対評価)だった。
【追記:※2】
鴎外には、大学時代の文学講義(一般教養)の期末試験での思い出がある。普段の講義は講師の説く音楽(当時のヒット曲等)を聴いて、詩部分の音楽性の評釈(端的には講師の音楽的嗜好性?)を聴くものだった。ところが期末試験ではテキストでも触れていない、確か鴎外作品(作品名は失念)の評釈を指示された観点から論述するものだったように記憶する。私は全く分からず、他の受講者も開始早々から退出者が続出した。折角の1年間の聴講も無駄にしたくなかったので(白紙では採点されない)、私は覚悟を決め問題文を傍線で削除し、勝手に問題文を書き変えて(≒“漱石の『こころ』における唯心論的本質”のようなものと記憶)解答用紙裏面まで使って書きこんだ…結果、成績は「可」(=合格下限の60~70点)であった(不本意な成績と思った私はツワモノか?)。