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方丈記 発心集 新潮日本古典集成 第5回 単行本 – 1976/10/1
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- 本の長さ437ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1976/10/1
- ISBN-104106203057
- ISBN-13978-4106203053
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1976/10/1)
- 発売日 : 1976/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 437ページ
- ISBN-10 : 4106203057
- ISBN-13 : 978-4106203053
- Amazon 売れ筋ランキング: - 614,601位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14,010位日本文学
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
方丈記は以前、岩波の日本古典文学大系で徒然草とともに読みました。長明さんの語りはとても魅力的でしたので、発心集も読みたくなり、また読みやすい新潮版でもう一度方丈記もじっくり読んでみたく、購入した次第です。これからゆっくり味わおうと思います。
2016年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
鴨長明の思想を学ぶには本書は解り易く解説されて読み易い書籍です。
2015年7月14日に日本でレビュー済み
方丈記は音読のリズムがいいが、特に本書のテキストはいい。
現代語訳がないのも、むしろ清々しい。注釈は分かりやすい。
方丈記は、前半部の災害の記述に圧倒されて、それだけで読んだ気になってしまう。
著者の(多分、設計した)方丈は、伝統の掘っ立て柱工法ではない。
土地に固定されていなくて、分解して移動ができる。ムーバブル・ハウスといえる。
本書は、建築論としても読める。災害の記述も建築論へ至る。
著者は日本初の建てない建築家とも言える。
8月7日追加
岩波文庫版『方丈記』の書評を投稿しました。
題名「モバイルハウス体験で、『方丈記』は思想書となる」
底本の違うkindle版と同じジャンルになっているため、多少混乱してます、ご愛嬌。
『方丈記』は随筆ではない、首尾一貫した住居からみた人生論だ。
『方丈記』は無常を描いたものではない、災害の記事はなくてもいいくらいだ。
『方丈記』は一気に書かれたものではない、多分10年ほどかけているのではないか。
8月12日追加
身心(シンジン)はマイコン付機械に喩えると分かりやすい
『方丈記』の「身心」という言葉は国文学者の読めないもの一つで、本書(p.36-7)でも「身、心の苦しみを知れれば」などと、苦しくて、意味不明の読み方をしている。どうも身体がでてくると、国文学者は混乱に陥るらしい。
身体を機械に喩えることはギリシャの昔からあるが、スッキリはしない。
昔の機械は、時計がゼンマイや歯車でできているように、形を見れば機能が理解できた。
今の機械は、多くはマイコン制御となっているので、形を見ただけでは(本来は)機能は理解できない。このマイコンは(手続き)記憶と言い換えてもいい。
「身心」も同じように考えることはできる。身を解剖して、形を知っても機能は分からない。例えば泳ぐときの筋肉動作シーケンスなど。ここでの心は(手続き)記憶と言える。
鴨長明が「今、一身をわかちて、二つの用(=機能)をなす」とし、その一つを「身心(=従者)」としているのは秀逸。800年たって、時代がやっと少しだけついてきた感じだ。
現代でも、心を二つの機能(意識と無意識)に分けたりするが、これはあまり役立たない。まだ、身体が置いてきぼりになっている。
8月14日追加
比喩を逆手にとった効果
本書の表現「朝に死に、夕に生まるるならひ」は非常に興味深い。
普通の表現「朝に生まれ、夕に死するならひ」なら、人生を1日に喩えているので素直に読める。この人生は同一人のもので、容易に自分の人生と重ねられて、無常を感じる。
本書の表現では、人生と1日との比喩関係は壊され、死ぬ人と生まれる人は同一人ではないので、自分の人生をそこに重ねることができない。場合によっては、1人死んで、2人生まれることも考えられるので、無常感とはほど遠い。
後の時代、本願寺蓮如の白骨の御文では「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」とあり、比喩に見せかけて比喩ではなく、実際の1日の中でありうることとする。紅顔からの連想で、自分の子供や孫が浮かび、強い無常を感じる。
まさに蓮如は天才的だが、長明はさらにその上をいっている。言葉を入れ替えるだけで、無常を吹き飛ばしている。ちなみに、日本人の「無常」は情緒的な感情であり、ブッダの言う無常とは違うので、ちょっと注意を。
現代語訳がないのも、むしろ清々しい。注釈は分かりやすい。
方丈記は、前半部の災害の記述に圧倒されて、それだけで読んだ気になってしまう。
著者の(多分、設計した)方丈は、伝統の掘っ立て柱工法ではない。
土地に固定されていなくて、分解して移動ができる。ムーバブル・ハウスといえる。
本書は、建築論としても読める。災害の記述も建築論へ至る。
著者は日本初の建てない建築家とも言える。
8月7日追加
岩波文庫版『方丈記』の書評を投稿しました。
題名「モバイルハウス体験で、『方丈記』は思想書となる」
底本の違うkindle版と同じジャンルになっているため、多少混乱してます、ご愛嬌。
『方丈記』は随筆ではない、首尾一貫した住居からみた人生論だ。
『方丈記』は無常を描いたものではない、災害の記事はなくてもいいくらいだ。
『方丈記』は一気に書かれたものではない、多分10年ほどかけているのではないか。
8月12日追加
身心(シンジン)はマイコン付機械に喩えると分かりやすい
『方丈記』の「身心」という言葉は国文学者の読めないもの一つで、本書(p.36-7)でも「身、心の苦しみを知れれば」などと、苦しくて、意味不明の読み方をしている。どうも身体がでてくると、国文学者は混乱に陥るらしい。
身体を機械に喩えることはギリシャの昔からあるが、スッキリはしない。
昔の機械は、時計がゼンマイや歯車でできているように、形を見れば機能が理解できた。
今の機械は、多くはマイコン制御となっているので、形を見ただけでは(本来は)機能は理解できない。このマイコンは(手続き)記憶と言い換えてもいい。
「身心」も同じように考えることはできる。身を解剖して、形を知っても機能は分からない。例えば泳ぐときの筋肉動作シーケンスなど。ここでの心は(手続き)記憶と言える。
鴨長明が「今、一身をわかちて、二つの用(=機能)をなす」とし、その一つを「身心(=従者)」としているのは秀逸。800年たって、時代がやっと少しだけついてきた感じだ。
現代でも、心を二つの機能(意識と無意識)に分けたりするが、これはあまり役立たない。まだ、身体が置いてきぼりになっている。
8月14日追加
比喩を逆手にとった効果
本書の表現「朝に死に、夕に生まるるならひ」は非常に興味深い。
普通の表現「朝に生まれ、夕に死するならひ」なら、人生を1日に喩えているので素直に読める。この人生は同一人のもので、容易に自分の人生と重ねられて、無常を感じる。
本書の表現では、人生と1日との比喩関係は壊され、死ぬ人と生まれる人は同一人ではないので、自分の人生をそこに重ねることができない。場合によっては、1人死んで、2人生まれることも考えられるので、無常感とはほど遠い。
後の時代、本願寺蓮如の白骨の御文では「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」とあり、比喩に見せかけて比喩ではなく、実際の1日の中でありうることとする。紅顔からの連想で、自分の子供や孫が浮かび、強い無常を感じる。
まさに蓮如は天才的だが、長明はさらにその上をいっている。言葉を入れ替えるだけで、無常を吹き飛ばしている。ちなみに、日本人の「無常」は情緒的な感情であり、ブッダの言う無常とは違うので、ちょっと注意を。
2015年12月16日に日本でレビュー済み
方丈記は言わずと知れた諸行無常山ごもりエッセイ。
発心集は同氏編集による説話集で、基本的には色んな人々が無常を感じ、当時流行の浄土教/阿弥陀仏信仰に帰依して救われた、という話が大半。
興味の無い人は敢えて買わない本と思われるので、「興味あるけど買うべきか…」と迷いのある人に向けて書きますと、古文に強くなくても注・解説がしっかりしているので、一々辞書を引かなくても読める。
古文を読む必要のある大学生というよりも、「授業で古典やるけど、文法ばっかりやってつまらない。そもそも話として何書いてるの?」と気になる高校生や、日本の歴史ある随筆として読みたい一般の人向けだと思います。(少し高いですが…)
発心集は同氏編集による説話集で、基本的には色んな人々が無常を感じ、当時流行の浄土教/阿弥陀仏信仰に帰依して救われた、という話が大半。
興味の無い人は敢えて買わない本と思われるので、「興味あるけど買うべきか…」と迷いのある人に向けて書きますと、古文に強くなくても注・解説がしっかりしているので、一々辞書を引かなくても読める。
古文を読む必要のある大学生というよりも、「授業で古典やるけど、文法ばっかりやってつまらない。そもそも話として何書いてるの?」と気になる高校生や、日本の歴史ある随筆として読みたい一般の人向けだと思います。(少し高いですが…)