尾崎真理子という最良の読み手が作家にインタビューしているために、実に率直で衒いもゴマカシもない、大江健三郎さんの本音を引き出してくれている。彼女の問いかけが、大江さん本人も気づいていなかったことを、今気づきました、というように大江さんに語らせる場面がいくつもあって楽しい。
この本での対話を読んで、大江さんが真摯で誠実な真性の知識人であることを改めて認識し直した。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
大江健三郎作家自身を語る 単行本 – 2007/5/1
- 本の長さ317ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/5/1
- ISBN-104103036184
- ISBN-13978-4103036180
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/5/1)
- 発売日 : 2007/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 317ページ
- ISBN-10 : 4103036184
- ISBN-13 : 978-4103036180
- Amazon 売れ筋ランキング: - 708,766位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 111,415位ノンフィクション (本)
- - 187,401位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1935年愛媛県生まれ。東京大学仏文科卒。大学在学中の58年、「飼育」で芥川賞受賞。以降、現在まで常に現代文学をリードし続け、『万延元年のフット ボール』(谷崎潤一郎賞)、『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞)、『「雨の木」を聴く女たち』(読売文学賞)、『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞)な ど数多くの賞を受賞、94年にノーベル文学賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 「伝える言葉」プラス (ISBN-13: 978-4022616708 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作家の著作を永年読んできましたが、作品の背景、ルーツを系統的に思い起こすことができ、自分の人生をも思い起こすようでした。インタビューアーの方の視点、姿勢、研究の深さにも共感しました。大江作品の深さ、鋭さ、おもしろさを再確認でき、書くことを続けられた大江さんの努力の偉大さがわかる良い著作だと感じました。
2019年1月26日に日本でレビュー済み
私と言う作家には,老境に至っても,読者との広く長いつながりが達成されているとは思いませんし,
むしろ徹底的な孤立感を伴って死に向かっているはずとも思う.
中略
一番荒々しい悲しみ,苦しみというものが現れてくるかもしれない,とは思う.
いや,大いに現れてくるでしょう.(p.110)
無知なる傭兵どもらに対して,君らの額をつきあわせよ!(p.214)
いろいろ社会的な達成をしている人なんだけれど,
お父さんに仕込まれる,あるいは大学制度に仕込まれるということはなしに,
自分の好きなように生きて,好きな先生を選んで知識を得て,
自分の好きなタイプの女性と結婚して,そうやって自由に生きて仕事をしてきた.
そして,どうも子供っぽいところが残ってて,大人になりきれない人.
権力というものに無関係で生きたいと思っている,
父親の権力すら持ちたくないと思っている人.
そういう人が私は好きなんです.武満徹が,そういう人でしたよ.(p.220)
私は武満さんの音楽を聴いていて,ドビュッシーを日本人が最上に訳したらこのようになる
と感じることもあります.(p.243)
フランス語はもちろんのこと英語でも,ある文章の文体を作ってから,そこにドンドン
書き加えて文体を持ちこたえさせることは不可能です.
ところが日本語の文章は,そこにどんなに書き込んでも,ある文体になるものなんです.
どんなに形容詞,挿入句を加えても.そのように自由に加えていける点が実は問題で,
だいぶ永い間私は誤解していました.小説は哲学の本じゃないんだから,ある程度書き込んだものを
短くしていく,そうして正確にしていくということをやってゆくべきだったと今は思いますけど.......
もう遅いですが.(p.244)
小説を書く作業は,その小説を書くことを通じて,自分の死生観を作り変えながら生きて行く,そういうことでもあります.(p.287)
どうも小説というものは,,何よりも偶発事にそそのかされるようにして書かれる場合が一般じゃないか.
それがあるから人間が生きることの偶然性の面白さ,無意味さ,それでいて深い重さ,というようなものが
小説のかたちで描き出されてきたのじゃないか,そう思っています.(p.292)
私には小説の人物の名前に対して,妙な趣味があるんです.私の小説に出てくるあらゆる人物の名前は,
私の人間に対する好みと嫌悪に照応するといっていいくらい,好みがはっきりあるわけです.(p.300)
小説家として生きることは,その時代がその人間に集結すること.(p.368)
むしろ徹底的な孤立感を伴って死に向かっているはずとも思う.
中略
一番荒々しい悲しみ,苦しみというものが現れてくるかもしれない,とは思う.
いや,大いに現れてくるでしょう.(p.110)
無知なる傭兵どもらに対して,君らの額をつきあわせよ!(p.214)
いろいろ社会的な達成をしている人なんだけれど,
お父さんに仕込まれる,あるいは大学制度に仕込まれるということはなしに,
自分の好きなように生きて,好きな先生を選んで知識を得て,
自分の好きなタイプの女性と結婚して,そうやって自由に生きて仕事をしてきた.
そして,どうも子供っぽいところが残ってて,大人になりきれない人.
権力というものに無関係で生きたいと思っている,
父親の権力すら持ちたくないと思っている人.
そういう人が私は好きなんです.武満徹が,そういう人でしたよ.(p.220)
私は武満さんの音楽を聴いていて,ドビュッシーを日本人が最上に訳したらこのようになる
と感じることもあります.(p.243)
フランス語はもちろんのこと英語でも,ある文章の文体を作ってから,そこにドンドン
書き加えて文体を持ちこたえさせることは不可能です.
ところが日本語の文章は,そこにどんなに書き込んでも,ある文体になるものなんです.
どんなに形容詞,挿入句を加えても.そのように自由に加えていける点が実は問題で,
だいぶ永い間私は誤解していました.小説は哲学の本じゃないんだから,ある程度書き込んだものを
短くしていく,そうして正確にしていくということをやってゆくべきだったと今は思いますけど.......
もう遅いですが.(p.244)
小説を書く作業は,その小説を書くことを通じて,自分の死生観を作り変えながら生きて行く,そういうことでもあります.(p.287)
どうも小説というものは,,何よりも偶発事にそそのかされるようにして書かれる場合が一般じゃないか.
それがあるから人間が生きることの偶然性の面白さ,無意味さ,それでいて深い重さ,というようなものが
小説のかたちで描き出されてきたのじゃないか,そう思っています.(p.292)
私には小説の人物の名前に対して,妙な趣味があるんです.私の小説に出てくるあらゆる人物の名前は,
私の人間に対する好みと嫌悪に照応するといっていいくらい,好みがはっきりあるわけです.(p.300)
小説家として生きることは,その時代がその人間に集結すること.(p.368)
2015年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
細部まで細々として、ため息が、いや、息切れか、起こり、気合いをいれて、続きを何とか読み通したい。
2014年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大江健三郎の本を少し読んできました。が「同時代ゲーム」でつまづきました.
この度「大江健三郎 作家自身を語る」を読んで「『同時代ゲーム』は自分の文学生活の分岐点だったと語っていました」しかし、それがあって
それ以後の私の文学があった。とも
今、時間をゆっったり使える身になって、改めて大江健三郎の本を手にしている。読める本から読むという態度で。
ブレイクやイエーツ、エリオットという詩人たちが出て、私には難解だった大江の作品を「作家自身を語る」を手助けに読んでみようと思っている。
巻末の「大江健三郎、106の質問に立ち向かう+α」はおもしろい!№80以降は、質問に答えるという定義も崩してくれる。楽しかった。
この度「大江健三郎 作家自身を語る」を読んで「『同時代ゲーム』は自分の文学生活の分岐点だったと語っていました」しかし、それがあって
それ以後の私の文学があった。とも
今、時間をゆっったり使える身になって、改めて大江健三郎の本を手にしている。読める本から読むという態度で。
ブレイクやイエーツ、エリオットという詩人たちが出て、私には難解だった大江の作品を「作家自身を語る」を手助けに読んでみようと思っている。
巻末の「大江健三郎、106の質問に立ち向かう+α」はおもしろい!№80以降は、質問に答えるという定義も崩してくれる。楽しかった。
2019年7月7日に日本でレビュー済み
本書には、標題に引用したい言葉は溢れていますが、中でも上記の言葉は良い言葉です。
大江健三郎の本を久しぶりに読みました。本書の前(3年前くらい)に、岩波新書の『沖縄ノート』を読みました、46年ぶりくらいに読んで、Amazonに「書評」を書きました。『沖縄ノート』のAmazonでの評価点数があまりにも低いのに腹を立てたのがその理由です。それ以前は20年以上大江健三郎の本は読んでいなかったと思います。高校から大学、サラリーマン初期の頃(1960年代末から70年代、80年代中頃くらい)までは、大江健三郎は書評者の読書の中心を占めていたような気がしています。本書の各章の最初の頁にその章で言及される代表作品が記されていますので、それを引用します。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
【 「 第一章 詩 初めての小説作品 卒業論文」(P.13)
「 第2章 「奇妙な仕事」 初期短編 『叫び声』 『ヒロシマ・ノート』 『個人的な体験』 」(P.55)
「 第3章 『万延元年のフットボール』 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』 『洪水は我が魂に及び』 『同時代ゲーム』 『M/Tと森のフシギの物語』 」(P.113)
「 第4章 『「雨の木」を聴く女たち』 『人生の親戚』 『静かな生活』 『治療塔』 『新しい人よ眼ざめよ』 」(P.173)
「 第5章 『懐かしい年への手紙』 『燃えあがる緑の木』三部作 『宙返り』 」(P.223)
「 第6章 「おかしな二人組(スウード・カップル)」三部作 『二百年の子供』 」(P.279)
「 第7章 『美しいアナベル・リイ』 『水死』 『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』 」(P.341) 】
第2章で言及の小説は、当時、新潮社から出ていた『大江健三郎全作品(第1期)』(全6巻)でほぼ読んでいます(全て隣の市の図書館で借りて読みました)。「飼育」「死者の奢り」「芽むしり・仔撃ち」は、兄が持っていた文庫で最初に読みましたが、この「芽むしり・仔撃ち」で、大江健三郎は面白い、と思いました。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、単行本も買いましたが、その前に、雑誌(『群像』か『新潮』か『文学界』かは忘れてしまいましたが)を買って読んだのを記憶しています。書評者にとっては、『万延元年のフットボール』が最高峰です、講談社文庫が創刊された1971年に買いまして、当時の包装紙をブックカバーとして、今でも本棚の見えるところにあります。『同時代ゲーム』や『M/Tと森のフシギの物語』も単行本で買いましたが、『M/Tと森のフシギの物語』は読んでいません。『洪水は我が魂に及び』は、だいぶ後になって、新潮社の『大江健三郎全作品(第2期)』(全6巻)を買って、それで読みました。第4章の5冊の本も、全て単行本で買っていますが、読んだのは、『「雨の木」を聴く女たち』と『新しい人よ眼ざめよ』だけです。第5章の本は、『懐かしい年への手紙』は単行本を買って読みましたが、『燃えあがる緑の木』三部作は、単行本で3冊買いましたが、読んでいません。『宙返り』は買ってもいません。第6章、第7章に掲げられている本は1冊も買っていません。書評者にとっては、初期の短編集から『万延元年のフットボール』あたりが大江健三郎を一生懸命になって読んだ時期になるでしょう。初期の長編としては、上記以外にも、本書には言及がないと思いましたが『青年の汚名』や、難儀して読んだ『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』等が印象に残っています。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』関連で、W.H.オーデン詩集を購入したこともありました。短編では、「後退青年研究所」や「空の怪物アグイー」や「不意の唖」や「人間の羊」や「若く陽気なギリヤーク人」等の題名を思い出します。本書では、小説がメインですが、書評者にとっては、評論・エッセイも良く読みました(基本的に、80年代くらいまでですが)。『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』以外にも、文藝春秋社から出た3部作『厳粛な綱渡り』、『持続する志』、『鯨の死滅する日』や『核時代の想像力』、『壊れものとしての人間』、『同時代としての戦後』、それから『状況へ』、『言葉によって』そして『小説の方法』、最後に『大江健三郎同時代論集』(全10巻?、これは最終巻まで読み終わっていません)、等々、です。
では、引用紹介を始めます。まず最初に、「最終章」としての「大江健三郎 106の質問に立ち向かう+α」(P.379 ~ P.414)から2~3の質問と回答を引用します。
【 「 26、インターネットで、ご自身のホームページを開設される予定はありますか。
ありません。ホームページという呼び名自体、自他についてそうナレナレしくしてどうなる、と思います。」(P.388)
「 34、安部公房さんと一時期絶交されたというのは本当ですか。
大学闘争の時期、安部さんから電話があって、朝日新聞で学生たちを批判する対談を準備した、ともちかけられました。私がそれはしない、と答えると、 ―― それじゃ、きみと友人でいても仕方がないな、といわれ、 ―― クソッタレ! と私が応じて絶交しました。それから、本気で仲直りすることがあった、とは思いません。あの人は友人にしてもらうより、天才としてその作品を読んでいることで幸いでした。」(P.390)
「 99、一番好きな動物は? ペットは飼っていらっしゃいますか。
庭に来る野鳥の、ヒヨドリと鳩と烏よりほかはすべて好きです。自分としては、いかなるペットとも無縁でいたいと思ってきました。とくに犬については、その散歩をさせている夫人が、素手で歩いている私に(つまりそれとして考えることのある他人に)話しかけようとされる時、カッとなるくらい嫌いです(犬がでなく、犬を飼う人が)。」(P.409) 】
安部公房も「天才」(安部公房の作品は1冊も読んでいません)、大江健三郎も「天才」ですから、「馬が合わない」のは当然でしょう。また、「ペット」は「動物愛護」ではなく、わがままな人間の「動物虐待」であると思っています、書評者は。
本書では、第5章が面白く、その中でも、「詩と引用と翻訳をめぐる考察」(P.234 ~ P.253)の節が啓発的でしたので、そこの部分の引用をメインに引用紹介します。
【 「 第5章
・・・・・
□ 詩と引用と翻訳をめぐる考察
・・・・・
―― ブレイクの際もそうですが、原文で詩の精読を重ねてゆかれるわけですね。それでも翻訳者の日本語は必要なのでしょうか。
ええ。自分の読みとりよりも格段に良いモデルが必要なんです、私には。誰か自分じゃない人物で、なんとも素晴らしい読み方だと思う読み方をエリオットに対して行った人を発見したい。そうならば、その訳者とエリオットとをめぐって書けばいいじゃないかと思われるかもしれません。しかし、やはり私は自分に結びつけて小説を書きたい。そこでエリオットと、今回の場合は西脇順三郎ですが、西脇、エリオットを対峙させてみると、そのような上等さでないエリオットへの自分の対峙の仕方がよく理解されるんですよ。エリオットと西脇順三郎の傍らに自分がいて、その自分の心の中では音楽のようにエリオットと西脇の言葉が鳴っている。それを聴いている自分、そしてそれから自分の中に湧き起ってくる新しい音楽を書こうとする自分 ・・・・
―― ご自身で詩を直接、翻訳されるということでは、その音楽が聴こえてこないのですか?
これまでの小説でいうと、R・S・トーマスの場合はあまり翻訳がなかったので、自分の翻訳を使いました。私の小説の文体とは少し違った、古めかしい文体にして。マルカム・ラウリーもイエーツも自分の訳。ダンテの場合は、岩波文庫にある翻訳(山川丙三郎訳)が本当にいいんですよ。それを使いながら、あわせて手に入る限りの日本語訳を読みましたが。ウィリアム・ブレイクの場合にも古い訳を使うことがあったし、エリオットでは、最初深瀬基寛の翻訳を使用したり自分でも訳したり、とにかくどの詩人の場合でも、その詩人の前に立っている自分ということをいつも考えています。そのようにして作られた自分が、いろいろ人生の経験をしに動き回っているわけですけれども、自分の世界の一番上で光っているのはやはりその詩人なんです。ダンテ、ブレイク、イエーツ。
私はやはり詩人に対する信仰を持っているんですね。本当の詩人は、かれが生きている間に、生きていくこと自体に対する結論を、言語で表現する人だと思います。それがない詩人については、私は冷淡なんです。
日本の詩人にも好きな人は多いですよ。短歌も好きです。俳句は表現のスタイルが、私の必要とするものとしっくりしないというか、古典の俳句しか自分のなかにうまく入ってこないんですが、その時々ジャストミートして忘れられないものは幾らもあります。
ところで、始めから日本語で書かれている詩は、私にはいちばんよくわかるだけに、ズレというものが介在しない。しかし私には英語やフランス語の詩と、それを訳した日本語の間のズレが、本当に創造的な役割をする。そのズレの空間に入り込むと、自分の詩的な呼吸が始まる、という気がする。その呼吸をスースーやりながら、小説を書いているんです(笑)。
そういうわけで、私が特別な関心を持つのは、エリオットを訳そうとしている深瀬基寛や西脇順三郎で、かれらの訳詩の仕事から、原詩の詩人に対する自分の評価もはっきりしてくるんです。英語と日本語の間に、本当の魂の道というものを自分でつけてその上で私らを導いてくれる人間がいるんです。それが西脇さんだったり、あるいは日夏耿之介(ひなつこうのすけ)だったりする。かれらは特別な人です。
ただ、そういう特別な人たちの作った日本語が、語学的にいい翻訳かというと、それはまたそうでないんじゃないかとも思う。その訳者が、たとえばエリオットの中に本当に入り込んでいって、エリオットを日本語で自分の中に響かせようとすると、こんな言葉しかない ・・・・・ そのことがこちらにわかるような仕事に出会うと、それを横に置くことで、私には自分の言葉が少しずつ湧いてくるんです。私がエリオットを日本語に訳すことはありますけど、その場合も、やはりどうしても西脇が、深瀬基寛が脇にいなければならない。
―― 面白いですね。非常に複雑な言葉の三角関係。詩も小説も、これまで翻訳の仕事はなさならかった理由も、その辺りにあるのでしょうか。
その通りです。正確に聞きとっていただいている、と思います。やはりどうしても自分の翻訳じゃない。本当の翻訳者は別にいるんですね。エリオットについてなら、世界でかれの次に偉いくらいの人が。私の読書の中心になっているのは原書で読むことで、それは必要なんだけれども、特に詩の場合、本当にそれと格闘して日本語にしようとした先人の存在が、大きい。その援助で、私はエリオットを理解し始めるんです。
・・・・・ 」(P.238 ~ P.241) 】
中途半端ですが、この部分の引用はここで止めて、後は、同じ節で、武満徹や米原万里が出て来るところを、多少長く引用します。
【 「 ―― 翻訳家の方にお会いすることがしばしばありますが、そのお仕事と同時に、翻訳を生業(なりわい)にしているその方そのものに魅了されることがあります。翻訳家というのは、ズレや亀裂を多く含みこんだ、文学的な存在なのかもしれませんね。
本当にそうでしょう。私自身、一種の翻訳家だと自分のことを思ったりもします。それも特殊な翻訳家で、いい翻訳家に導かれながらあれこれ思うことから、自分の小説の文体で書き始める、結局は原文なしでやる翻訳家だと思います。渡辺一夫訳のガスパールを読み、原文といちいち対照したことで、最初の小説の文体を発見した。渡辺一夫の生涯を代表する『ガルガンチュワとパンタグリュエル』という大作品の翻訳には、もう動かし難く、そこに渡辺一夫がいる。渡辺一夫が表現する、ほとんどかれ一人で代表するたぐいの日本語がそこにあります。
私は武満さんの音楽を聴いていて、ドビュッシーを日本人が最上に訳したらこのようになると感じることもあります。それは武満さんがドビュッシーを模倣しているとか、かれに影響を受け過ぎているという意味じゃないんですよ。武満さんがドビュッシーを聴きこむということは、その行為自体で、かれの精神と肉体にいかに彼自身の音楽が鮮明にうかびあがってくるかということだと思います。しかも、武満さんのその作品を何度も聴いていくうちに、私の中からドビュッシーが次第に後退していって、武満さんそのものが残る。こういう翻訳こそが、最上の芸術作品だと思います。
―― 時々、大江作品は英語に翻訳された方がわかりやすくなるという言い方をする人がいますが・・・・。
それはどうでしょうね。もしそういう人が日本人だったら、私は疑います。私のどんな作品でも、英、仏訳はほとんど読んでいますが、やはり日本語で読む方がやさしいですよ、あたり前の話ですけど(笑)。
ただ私の日本語の読みにくさをいう人には、それは日本語の文章の特性にも関係があるといいたい。フランス語はもちろんのこと英語でも、ある文章の文体を作ってから、そこにドンドン書き加えて文体を持ちこたえさせることは不可能です。ところが日本語の文章は、そこにどんなに書き込んでも、ある文体になるものなんです。どんなに形容詞、挿入句を加えても。そのように自由に加えていける点が実は問題で、だいぶ永い間私は誤解していました。小説は哲学の本じゃないんだから、ある程度書き込んだものを短くしていく、そうして正確にしていくということをやってゆくべきだったと今は思いますけれど ・・・・ もう遅いですが(笑)。
日本の大学を卒業してアメリカの大学院に入って、という人にニューヨークやボストンから手紙をもらいます。私の小説を英語で読んで感心した、と。そういう時、正直なところ私はその人の英語力、あるいは日本語の力に疑問を持ちます。それはどんなにいい翻訳でも、原作よりいい訳というのはあり得ない。それはもう、私の確信するところですよ。
―― 亡くなった米原万里さんが『憂い顔の童子』を激賞した雑誌の書評の中で、思わず一言書いていらっしゃいましたね、大江さんの小説を原語で読める、同じ日本人である幸せを。米原さんはロシア語が堪能な会議通訳者にして翻訳家、小説家。外国語に翻訳することで損なわれるものを身にしみてご存じの方なので、これは説得力のあるひとことでした。やはり特別な言語の共鳴関係があの方の中にはあったのだと思います。
私は米原さんと話して ―― たとえばサハロフ博士との対話を通訳してもらった後などで ―― 楽しい経験をしました。井上ひさしの芝居についてはじめ、私らは完全に意見が一致しました。ところがナボコフの評価だけは別で、『ロリータ』のみならず、米原さんは倫理的に絶対にナボコフを許さないのだと、そのガンコさに感動したくらいでした。つまりナボコフの女性観について、米原さんにはどうしても許容できないところがあった、ということなのですが、それは別のところで話しましたから、これだけにします。
・・・・・ 」(P.243 ~ P.246) 】
上の米原万里のナボコフ拒否のガンコさについての文章を読んでいて、上野千鶴子が大江健三郎を嫌いだ、という話を思い出しました。どの本に書いてあったかは定かではありませんが。女性から見た場合、大江健三郎の中にも「ナボコフ的要素」(?)があるのかも知れませんね、男には分からない(私は、ナボコフは1冊も読んでいません)。
【 「 ―― 1993年のエッセイ集『新年の挨拶』に収録された「『無垢なもの(イノセンス)』、光の音楽」は、そうした神秘主義、ネオプラトニズムへのご関心が凝縮された、大変美しい文章でした。光さんの音楽に湛えられている無垢なもの、それは神秘的でもあるのですが、やはり聖書の言葉と結びついている、と。
そうですね、あの頃、とくにキリスト教の恩寵、英語で言う grace という言葉と、光のもたらしてくれたものを重ねてとらえていました。光という障害を持った子供がいる。かれとごく簡単な言葉で話し合う、毎日ほとんどの時間、かれと一緒の部屋で暮らしているのだけれども、ほとんど言葉はない。家内が中心になって光を教育して、かれが音楽を好きだということがわかってきてから、いつも私らの生活する部屋にCDやFMの音楽でみたしてきた。また家内は、音楽をこんなふうに楽譜に書ける、ということを教えた。それを実際に覚えてから、光は音楽に深く入っていって、自分で作曲を始めた。彼が作った曲を友人のピアニストに弾いてもらうと、本当に美しい。
人間は本来、本質的に善良な、いいものだという考え方を私は昔から持ってきましたが、生きて行く上で、そうでないという気持ちも持たざるをえないことが起る。ところが知的に障害を持つ子供が自然に生活していくなかで、美しい音楽を聴いて楽しみ、そのうち自分でも美しい音楽を作る、それを聴いた人たちが「本当にほっとした」といってくださるような音楽を作る。そうした現実に起きた出来事が、私にとって一番神秘的なこと、私らへの grace の現われだったわけなんです。
武満徹さんが1996年2月に亡くなった時、私は深くショックを受けて、東京で暮らすのが苦しかった、そしてアメリカのプリンストンに一年間、行きました。武満さんのあの複雑な音楽と光の単純な音楽を続けて毎日聴きながら、生活した。大学で教えていたんですが、他の時間は自分のアパートで一日中、その二つを聴いていたんですね。聖書のパウロの手紙、「ローマ人への手紙」について、文学理論家で聖職者でもあったノースロップ・フライがいう。私らは神に向って祈る。自分の願いを述べて祈る。ところが本当の祈りは、人間の声で直接神にとどく、というものじゃない。われわれが一所懸命祈ると、その言葉はもう自分自身にもわからない、呻き声のようなものになって外に出てゆく。その呻き声のような祈りの言葉を、御霊(みたま) spirit が聞き取って、通じる言葉に直して神に届けてくれるのだ、と解説していました。
のちに『言い難き嘆きもて』というエッセイ集の題名にもしましたが、「言い難き嘆き」というのは、その、意味のはっきりしない呻き声のような言葉。私と光と一緒に暮らしながら、自分ではよくわからない恐れとか悲しみを感じている。それにつぶされないように独り言をいったりしている。それがどうも私の「言い難き嘆き」ってものであるらしい。光自身も、心の中で考えていること、悲しんだり怒ったりもしていることを言葉でいえない、その点でかれはもっと徹底して「言い難き嘆き」の人なんだけれども、音楽という手段、和音、リズム、メロディーというようなものを使うことによって、自分の「言い難き嘆き」を表現する。音楽という形式が、それをはっきりわかるものにしてこちらに届けてくれる。そういうことが起っている。そうすると、私が神と人間の嘆き、祈りというようなものと言葉の関係を考えていることと、光が自分のなかで言葉にできないものを音にして表現していくことが重なってくる。それは武満さんの音楽にも同じようなことを感じてきたんだと思った。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書から与えられるものの考え方や感じ方が、そういう方向に私を導いてくれてきたってことは、確実なんです。」(P.250 ~ P.253) 】
大江健三郎が本多勝一に「批判」されて、鬱病のような状態になったというような話が、第4章、P.184あたりに出ています。書評者は、大江健三郎も大好きです(最近は、上記したように、だいぶご無沙汰です)が、本多勝一も大好きで、その全集は買っていませんが、朝日文庫になっているものは9割近くは読んでいます。本多勝一の大江健三郎批判の本は読んでいません。
ただ、1980年代初期に、岩波書店から大江健三郎と中村雄二郎と山口昌男が編集代表になって出した叢書『文化の現在』(全13巻?)というのがありました(同じ頃に、岩波書店が、『へるめす』という名の季刊誌を出していたと思います、これも、同じように「高踏的」な代物だったと思います。この編集同人は、上記の3人に加えて、磯崎新、大岡信、武満徹でした。書評者は、この『へるめす』で上野千鶴子を「発見」したと記憶しています)。書評者も、この叢書は全部読み終えたわけではありませんでしたが、熱心に読んだ記憶があります。ただ、読んでいた当時から、内容は、書評者にとってはとても刺激的で面白いのですが、どちらかというと高踏的というか、スノビズム的な感じ、プチ・ブルジョワジー的な感じ、がしていましたし、時代も「バブル」の前駆的な時代でもあったような気もします。その点を突いた本多勝一の文章は読んだように思います。しかし、小説家・文学者の大江健三郎とジャーナリストの本多勝一が論争して、うまく論点がかみ合うとは思いませんね、今から考えても(論争はしていないのでしょうけれど)。
大江健三郎の本を久しぶりに読みました。本書の前(3年前くらい)に、岩波新書の『沖縄ノート』を読みました、46年ぶりくらいに読んで、Amazonに「書評」を書きました。『沖縄ノート』のAmazonでの評価点数があまりにも低いのに腹を立てたのがその理由です。それ以前は20年以上大江健三郎の本は読んでいなかったと思います。高校から大学、サラリーマン初期の頃(1960年代末から70年代、80年代中頃くらい)までは、大江健三郎は書評者の読書の中心を占めていたような気がしています。本書の各章の最初の頁にその章で言及される代表作品が記されていますので、それを引用します。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
【 「 第一章 詩 初めての小説作品 卒業論文」(P.13)
「 第2章 「奇妙な仕事」 初期短編 『叫び声』 『ヒロシマ・ノート』 『個人的な体験』 」(P.55)
「 第3章 『万延元年のフットボール』 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』 『洪水は我が魂に及び』 『同時代ゲーム』 『M/Tと森のフシギの物語』 」(P.113)
「 第4章 『「雨の木」を聴く女たち』 『人生の親戚』 『静かな生活』 『治療塔』 『新しい人よ眼ざめよ』 」(P.173)
「 第5章 『懐かしい年への手紙』 『燃えあがる緑の木』三部作 『宙返り』 」(P.223)
「 第6章 「おかしな二人組(スウード・カップル)」三部作 『二百年の子供』 」(P.279)
「 第7章 『美しいアナベル・リイ』 『水死』 『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』 」(P.341) 】
第2章で言及の小説は、当時、新潮社から出ていた『大江健三郎全作品(第1期)』(全6巻)でほぼ読んでいます(全て隣の市の図書館で借りて読みました)。「飼育」「死者の奢り」「芽むしり・仔撃ち」は、兄が持っていた文庫で最初に読みましたが、この「芽むしり・仔撃ち」で、大江健三郎は面白い、と思いました。『みずから我が涙をぬぐいたまう日』は、単行本も買いましたが、その前に、雑誌(『群像』か『新潮』か『文学界』かは忘れてしまいましたが)を買って読んだのを記憶しています。書評者にとっては、『万延元年のフットボール』が最高峰です、講談社文庫が創刊された1971年に買いまして、当時の包装紙をブックカバーとして、今でも本棚の見えるところにあります。『同時代ゲーム』や『M/Tと森のフシギの物語』も単行本で買いましたが、『M/Tと森のフシギの物語』は読んでいません。『洪水は我が魂に及び』は、だいぶ後になって、新潮社の『大江健三郎全作品(第2期)』(全6巻)を買って、それで読みました。第4章の5冊の本も、全て単行本で買っていますが、読んだのは、『「雨の木」を聴く女たち』と『新しい人よ眼ざめよ』だけです。第5章の本は、『懐かしい年への手紙』は単行本を買って読みましたが、『燃えあがる緑の木』三部作は、単行本で3冊買いましたが、読んでいません。『宙返り』は買ってもいません。第6章、第7章に掲げられている本は1冊も買っていません。書評者にとっては、初期の短編集から『万延元年のフットボール』あたりが大江健三郎を一生懸命になって読んだ時期になるでしょう。初期の長編としては、上記以外にも、本書には言及がないと思いましたが『青年の汚名』や、難儀して読んだ『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』等が印象に残っています。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』関連で、W.H.オーデン詩集を購入したこともありました。短編では、「後退青年研究所」や「空の怪物アグイー」や「不意の唖」や「人間の羊」や「若く陽気なギリヤーク人」等の題名を思い出します。本書では、小説がメインですが、書評者にとっては、評論・エッセイも良く読みました(基本的に、80年代くらいまでですが)。『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』以外にも、文藝春秋社から出た3部作『厳粛な綱渡り』、『持続する志』、『鯨の死滅する日』や『核時代の想像力』、『壊れものとしての人間』、『同時代としての戦後』、それから『状況へ』、『言葉によって』そして『小説の方法』、最後に『大江健三郎同時代論集』(全10巻?、これは最終巻まで読み終わっていません)、等々、です。
では、引用紹介を始めます。まず最初に、「最終章」としての「大江健三郎 106の質問に立ち向かう+α」(P.379 ~ P.414)から2~3の質問と回答を引用します。
【 「 26、インターネットで、ご自身のホームページを開設される予定はありますか。
ありません。ホームページという呼び名自体、自他についてそうナレナレしくしてどうなる、と思います。」(P.388)
「 34、安部公房さんと一時期絶交されたというのは本当ですか。
大学闘争の時期、安部さんから電話があって、朝日新聞で学生たちを批判する対談を準備した、ともちかけられました。私がそれはしない、と答えると、 ―― それじゃ、きみと友人でいても仕方がないな、といわれ、 ―― クソッタレ! と私が応じて絶交しました。それから、本気で仲直りすることがあった、とは思いません。あの人は友人にしてもらうより、天才としてその作品を読んでいることで幸いでした。」(P.390)
「 99、一番好きな動物は? ペットは飼っていらっしゃいますか。
庭に来る野鳥の、ヒヨドリと鳩と烏よりほかはすべて好きです。自分としては、いかなるペットとも無縁でいたいと思ってきました。とくに犬については、その散歩をさせている夫人が、素手で歩いている私に(つまりそれとして考えることのある他人に)話しかけようとされる時、カッとなるくらい嫌いです(犬がでなく、犬を飼う人が)。」(P.409) 】
安部公房も「天才」(安部公房の作品は1冊も読んでいません)、大江健三郎も「天才」ですから、「馬が合わない」のは当然でしょう。また、「ペット」は「動物愛護」ではなく、わがままな人間の「動物虐待」であると思っています、書評者は。
本書では、第5章が面白く、その中でも、「詩と引用と翻訳をめぐる考察」(P.234 ~ P.253)の節が啓発的でしたので、そこの部分の引用をメインに引用紹介します。
【 「 第5章
・・・・・
□ 詩と引用と翻訳をめぐる考察
・・・・・
―― ブレイクの際もそうですが、原文で詩の精読を重ねてゆかれるわけですね。それでも翻訳者の日本語は必要なのでしょうか。
ええ。自分の読みとりよりも格段に良いモデルが必要なんです、私には。誰か自分じゃない人物で、なんとも素晴らしい読み方だと思う読み方をエリオットに対して行った人を発見したい。そうならば、その訳者とエリオットとをめぐって書けばいいじゃないかと思われるかもしれません。しかし、やはり私は自分に結びつけて小説を書きたい。そこでエリオットと、今回の場合は西脇順三郎ですが、西脇、エリオットを対峙させてみると、そのような上等さでないエリオットへの自分の対峙の仕方がよく理解されるんですよ。エリオットと西脇順三郎の傍らに自分がいて、その自分の心の中では音楽のようにエリオットと西脇の言葉が鳴っている。それを聴いている自分、そしてそれから自分の中に湧き起ってくる新しい音楽を書こうとする自分 ・・・・
―― ご自身で詩を直接、翻訳されるということでは、その音楽が聴こえてこないのですか?
これまでの小説でいうと、R・S・トーマスの場合はあまり翻訳がなかったので、自分の翻訳を使いました。私の小説の文体とは少し違った、古めかしい文体にして。マルカム・ラウリーもイエーツも自分の訳。ダンテの場合は、岩波文庫にある翻訳(山川丙三郎訳)が本当にいいんですよ。それを使いながら、あわせて手に入る限りの日本語訳を読みましたが。ウィリアム・ブレイクの場合にも古い訳を使うことがあったし、エリオットでは、最初深瀬基寛の翻訳を使用したり自分でも訳したり、とにかくどの詩人の場合でも、その詩人の前に立っている自分ということをいつも考えています。そのようにして作られた自分が、いろいろ人生の経験をしに動き回っているわけですけれども、自分の世界の一番上で光っているのはやはりその詩人なんです。ダンテ、ブレイク、イエーツ。
私はやはり詩人に対する信仰を持っているんですね。本当の詩人は、かれが生きている間に、生きていくこと自体に対する結論を、言語で表現する人だと思います。それがない詩人については、私は冷淡なんです。
日本の詩人にも好きな人は多いですよ。短歌も好きです。俳句は表現のスタイルが、私の必要とするものとしっくりしないというか、古典の俳句しか自分のなかにうまく入ってこないんですが、その時々ジャストミートして忘れられないものは幾らもあります。
ところで、始めから日本語で書かれている詩は、私にはいちばんよくわかるだけに、ズレというものが介在しない。しかし私には英語やフランス語の詩と、それを訳した日本語の間のズレが、本当に創造的な役割をする。そのズレの空間に入り込むと、自分の詩的な呼吸が始まる、という気がする。その呼吸をスースーやりながら、小説を書いているんです(笑)。
そういうわけで、私が特別な関心を持つのは、エリオットを訳そうとしている深瀬基寛や西脇順三郎で、かれらの訳詩の仕事から、原詩の詩人に対する自分の評価もはっきりしてくるんです。英語と日本語の間に、本当の魂の道というものを自分でつけてその上で私らを導いてくれる人間がいるんです。それが西脇さんだったり、あるいは日夏耿之介(ひなつこうのすけ)だったりする。かれらは特別な人です。
ただ、そういう特別な人たちの作った日本語が、語学的にいい翻訳かというと、それはまたそうでないんじゃないかとも思う。その訳者が、たとえばエリオットの中に本当に入り込んでいって、エリオットを日本語で自分の中に響かせようとすると、こんな言葉しかない ・・・・・ そのことがこちらにわかるような仕事に出会うと、それを横に置くことで、私には自分の言葉が少しずつ湧いてくるんです。私がエリオットを日本語に訳すことはありますけど、その場合も、やはりどうしても西脇が、深瀬基寛が脇にいなければならない。
―― 面白いですね。非常に複雑な言葉の三角関係。詩も小説も、これまで翻訳の仕事はなさならかった理由も、その辺りにあるのでしょうか。
その通りです。正確に聞きとっていただいている、と思います。やはりどうしても自分の翻訳じゃない。本当の翻訳者は別にいるんですね。エリオットについてなら、世界でかれの次に偉いくらいの人が。私の読書の中心になっているのは原書で読むことで、それは必要なんだけれども、特に詩の場合、本当にそれと格闘して日本語にしようとした先人の存在が、大きい。その援助で、私はエリオットを理解し始めるんです。
・・・・・ 」(P.238 ~ P.241) 】
中途半端ですが、この部分の引用はここで止めて、後は、同じ節で、武満徹や米原万里が出て来るところを、多少長く引用します。
【 「 ―― 翻訳家の方にお会いすることがしばしばありますが、そのお仕事と同時に、翻訳を生業(なりわい)にしているその方そのものに魅了されることがあります。翻訳家というのは、ズレや亀裂を多く含みこんだ、文学的な存在なのかもしれませんね。
本当にそうでしょう。私自身、一種の翻訳家だと自分のことを思ったりもします。それも特殊な翻訳家で、いい翻訳家に導かれながらあれこれ思うことから、自分の小説の文体で書き始める、結局は原文なしでやる翻訳家だと思います。渡辺一夫訳のガスパールを読み、原文といちいち対照したことで、最初の小説の文体を発見した。渡辺一夫の生涯を代表する『ガルガンチュワとパンタグリュエル』という大作品の翻訳には、もう動かし難く、そこに渡辺一夫がいる。渡辺一夫が表現する、ほとんどかれ一人で代表するたぐいの日本語がそこにあります。
私は武満さんの音楽を聴いていて、ドビュッシーを日本人が最上に訳したらこのようになると感じることもあります。それは武満さんがドビュッシーを模倣しているとか、かれに影響を受け過ぎているという意味じゃないんですよ。武満さんがドビュッシーを聴きこむということは、その行為自体で、かれの精神と肉体にいかに彼自身の音楽が鮮明にうかびあがってくるかということだと思います。しかも、武満さんのその作品を何度も聴いていくうちに、私の中からドビュッシーが次第に後退していって、武満さんそのものが残る。こういう翻訳こそが、最上の芸術作品だと思います。
―― 時々、大江作品は英語に翻訳された方がわかりやすくなるという言い方をする人がいますが・・・・。
それはどうでしょうね。もしそういう人が日本人だったら、私は疑います。私のどんな作品でも、英、仏訳はほとんど読んでいますが、やはり日本語で読む方がやさしいですよ、あたり前の話ですけど(笑)。
ただ私の日本語の読みにくさをいう人には、それは日本語の文章の特性にも関係があるといいたい。フランス語はもちろんのこと英語でも、ある文章の文体を作ってから、そこにドンドン書き加えて文体を持ちこたえさせることは不可能です。ところが日本語の文章は、そこにどんなに書き込んでも、ある文体になるものなんです。どんなに形容詞、挿入句を加えても。そのように自由に加えていける点が実は問題で、だいぶ永い間私は誤解していました。小説は哲学の本じゃないんだから、ある程度書き込んだものを短くしていく、そうして正確にしていくということをやってゆくべきだったと今は思いますけれど ・・・・ もう遅いですが(笑)。
日本の大学を卒業してアメリカの大学院に入って、という人にニューヨークやボストンから手紙をもらいます。私の小説を英語で読んで感心した、と。そういう時、正直なところ私はその人の英語力、あるいは日本語の力に疑問を持ちます。それはどんなにいい翻訳でも、原作よりいい訳というのはあり得ない。それはもう、私の確信するところですよ。
―― 亡くなった米原万里さんが『憂い顔の童子』を激賞した雑誌の書評の中で、思わず一言書いていらっしゃいましたね、大江さんの小説を原語で読める、同じ日本人である幸せを。米原さんはロシア語が堪能な会議通訳者にして翻訳家、小説家。外国語に翻訳することで損なわれるものを身にしみてご存じの方なので、これは説得力のあるひとことでした。やはり特別な言語の共鳴関係があの方の中にはあったのだと思います。
私は米原さんと話して ―― たとえばサハロフ博士との対話を通訳してもらった後などで ―― 楽しい経験をしました。井上ひさしの芝居についてはじめ、私らは完全に意見が一致しました。ところがナボコフの評価だけは別で、『ロリータ』のみならず、米原さんは倫理的に絶対にナボコフを許さないのだと、そのガンコさに感動したくらいでした。つまりナボコフの女性観について、米原さんにはどうしても許容できないところがあった、ということなのですが、それは別のところで話しましたから、これだけにします。
・・・・・ 」(P.243 ~ P.246) 】
上の米原万里のナボコフ拒否のガンコさについての文章を読んでいて、上野千鶴子が大江健三郎を嫌いだ、という話を思い出しました。どの本に書いてあったかは定かではありませんが。女性から見た場合、大江健三郎の中にも「ナボコフ的要素」(?)があるのかも知れませんね、男には分からない(私は、ナボコフは1冊も読んでいません)。
【 「 ―― 1993年のエッセイ集『新年の挨拶』に収録された「『無垢なもの(イノセンス)』、光の音楽」は、そうした神秘主義、ネオプラトニズムへのご関心が凝縮された、大変美しい文章でした。光さんの音楽に湛えられている無垢なもの、それは神秘的でもあるのですが、やはり聖書の言葉と結びついている、と。
そうですね、あの頃、とくにキリスト教の恩寵、英語で言う grace という言葉と、光のもたらしてくれたものを重ねてとらえていました。光という障害を持った子供がいる。かれとごく簡単な言葉で話し合う、毎日ほとんどの時間、かれと一緒の部屋で暮らしているのだけれども、ほとんど言葉はない。家内が中心になって光を教育して、かれが音楽を好きだということがわかってきてから、いつも私らの生活する部屋にCDやFMの音楽でみたしてきた。また家内は、音楽をこんなふうに楽譜に書ける、ということを教えた。それを実際に覚えてから、光は音楽に深く入っていって、自分で作曲を始めた。彼が作った曲を友人のピアニストに弾いてもらうと、本当に美しい。
人間は本来、本質的に善良な、いいものだという考え方を私は昔から持ってきましたが、生きて行く上で、そうでないという気持ちも持たざるをえないことが起る。ところが知的に障害を持つ子供が自然に生活していくなかで、美しい音楽を聴いて楽しみ、そのうち自分でも美しい音楽を作る、それを聴いた人たちが「本当にほっとした」といってくださるような音楽を作る。そうした現実に起きた出来事が、私にとって一番神秘的なこと、私らへの grace の現われだったわけなんです。
武満徹さんが1996年2月に亡くなった時、私は深くショックを受けて、東京で暮らすのが苦しかった、そしてアメリカのプリンストンに一年間、行きました。武満さんのあの複雑な音楽と光の単純な音楽を続けて毎日聴きながら、生活した。大学で教えていたんですが、他の時間は自分のアパートで一日中、その二つを聴いていたんですね。聖書のパウロの手紙、「ローマ人への手紙」について、文学理論家で聖職者でもあったノースロップ・フライがいう。私らは神に向って祈る。自分の願いを述べて祈る。ところが本当の祈りは、人間の声で直接神にとどく、というものじゃない。われわれが一所懸命祈ると、その言葉はもう自分自身にもわからない、呻き声のようなものになって外に出てゆく。その呻き声のような祈りの言葉を、御霊(みたま) spirit が聞き取って、通じる言葉に直して神に届けてくれるのだ、と解説していました。
のちに『言い難き嘆きもて』というエッセイ集の題名にもしましたが、「言い難き嘆き」というのは、その、意味のはっきりしない呻き声のような言葉。私と光と一緒に暮らしながら、自分ではよくわからない恐れとか悲しみを感じている。それにつぶされないように独り言をいったりしている。それがどうも私の「言い難き嘆き」ってものであるらしい。光自身も、心の中で考えていること、悲しんだり怒ったりもしていることを言葉でいえない、その点でかれはもっと徹底して「言い難き嘆き」の人なんだけれども、音楽という手段、和音、リズム、メロディーというようなものを使うことによって、自分の「言い難き嘆き」を表現する。音楽という形式が、それをはっきりわかるものにしてこちらに届けてくれる。そういうことが起っている。そうすると、私が神と人間の嘆き、祈りというようなものと言葉の関係を考えていることと、光が自分のなかで言葉にできないものを音にして表現していくことが重なってくる。それは武満さんの音楽にも同じようなことを感じてきたんだと思った。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書から与えられるものの考え方や感じ方が、そういう方向に私を導いてくれてきたってことは、確実なんです。」(P.250 ~ P.253) 】
大江健三郎が本多勝一に「批判」されて、鬱病のような状態になったというような話が、第4章、P.184あたりに出ています。書評者は、大江健三郎も大好きです(最近は、上記したように、だいぶご無沙汰です)が、本多勝一も大好きで、その全集は買っていませんが、朝日文庫になっているものは9割近くは読んでいます。本多勝一の大江健三郎批判の本は読んでいません。
ただ、1980年代初期に、岩波書店から大江健三郎と中村雄二郎と山口昌男が編集代表になって出した叢書『文化の現在』(全13巻?)というのがありました(同じ頃に、岩波書店が、『へるめす』という名の季刊誌を出していたと思います、これも、同じように「高踏的」な代物だったと思います。この編集同人は、上記の3人に加えて、磯崎新、大岡信、武満徹でした。書評者は、この『へるめす』で上野千鶴子を「発見」したと記憶しています)。書評者も、この叢書は全部読み終えたわけではありませんでしたが、熱心に読んだ記憶があります。ただ、読んでいた当時から、内容は、書評者にとってはとても刺激的で面白いのですが、どちらかというと高踏的というか、スノビズム的な感じ、プチ・ブルジョワジー的な感じ、がしていましたし、時代も「バブル」の前駆的な時代でもあったような気もします。その点を突いた本多勝一の文章は読んだように思います。しかし、小説家・文学者の大江健三郎とジャーナリストの本多勝一が論争して、うまく論点がかみ合うとは思いませんね、今から考えても(論争はしていないのでしょうけれど)。
2013年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ユニークな感覚が衰えていないし、やるぞ!という場面も想定し覚悟を決めている。
おもしろい、そして参考になる人生プロセス。
おもしろい、そして参考になる人生プロセス。
2014年3月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作家自身による自らの作品に対する思いを聞けることができました。