もっと読みやすく書けたはずである。どうして、こうしか書けないのだろうか。評論対象の福沢の文章よりも読みづらく仕上がるというのは、どういう了見だろうか。池上彰を見習って欲しい。しかし、読んだだけの事はあって、読了の前後で視界は変わった気がする。だから、福沢諭吉について興味を持ってしまった人は、残念ながら読むしかないだろう。必読文献な気がする。
全七編を収める。岩波書店のホームページでは、なぜか目次が紹介されていない。「福沢諭吉の人と思想」と「福沢における「惑溺」」は講演だから、まずは、ここから読む。さすがに分かりやすい。これだけで約一一〇頁分。残り五編の約一七〇頁分は、どこから読んでも、あまり変わらないと思う。齧り付くようにして読めば、なんとか論旨は追える。
最低でも、『文明論之概略』は読んでおく必要はある。もし可能なら、丸山の『「文明論之概略」を読む』も。『福翁自伝』や『学問のすゝめ』だけの読書歴では、消化不良に終わるだろう。
【福沢諭吉の儒教批判】
福沢は、儒教思想それ自体ではなく、結果として社会に与えた影響について批判する。「要するに思想をその論理性よりはむしろその機能性に於て問題とする所にその特徴がある」(P.12)。そういうのを「イデオロギー暴露」というらしい(P.12)。ただし、その筆鋒も、徐々に穏やかになっていったという(P.27)。すでに文明開化を達成したからだと丸山は分析しているが(P.27)、歳をとって角が取れただけだったからかもしれない。
【福沢における「実学」の転回】
儒教では、自然(天道)と社会(人道)を貫く一本の倫理(道)を自覚し、機械主義的にこれに順応することが実学であると考えられた(P.50-51, 59)。しかし福沢は、先験的で内在的な価値規範から自然と人間を解放して、客観的な自然と、自由にこれを認識する主体を捻り出し(P.53, 54)、帰納的な物理学に依拠しながら(P.55)、積極的に現実を克服する能動的な知が実学であると提唱した(P.60, 61)。
【福沢諭吉の哲学】
惑溺と戦い続けた福沢は、あらゆる認識を条件付けで相対化し、「日本にくまなく見られる社会と精神のしこりを揉み散らす……マッサージ師の様な役割を自らに課した」(P.96)。行き着くところ、人生それ自体に対しても、真剣ながらも惑溺することなく、余裕を持たねばならない(P.111)。「真面目な人生と戯れの人生が相互に相手を機能化するところにはじめて真の独立自尊の精神がある」、と(P.111)。これが、宗教オンチと揶揄された福沢なりの「安心」だった(P.110)。
【『福沢諭吉選集』第四巻 解題】
もともとは道理に基づく自然法(国際法)を楽観的に信じていた福沢も(P.147)、現実的に西洋列強の帝国主義を見るにつけ(P.151)、マキャベリスト的な国家理性を説くようになった(P.153)。国際政治論におけるこの変化は国内政治論にも影響し、国権の前提であったはずの民権を(P.144-145)、国権の前に等閑視するようになった(P.158)。今ひとつ、理解の弱かった論文である。
【福沢諭吉の人と思想】
時代の雰囲気や自分の性向に惑溺することなく、余裕を持たねばらない。
【福沢における「惑溺」】
明治二年から十一年まで、『概略』や『西洋事情二編』で「惑溺」を多用しておきながら(P.236)、その後、使っても良さそうな文脈でも使わなくなっていったのは(P.251-252)、「credulity(軽信)」が多用されるバックルの『イギリス文明史』を、ちょうどその頃に読んでいたからではないか(P.264-265)。
【『福沢諭吉と日本の近代化』序】
福沢は、儒教の徳目それ自体ではなく、政治に利用され体制化された儒教、すなわち儒教「主義」を批判したのである(P.284-285)。その意味では、清国だけでなく、徳川幕府も同じ穴の狢だった(P.285)。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
福沢諭吉の哲学 他六篇 (岩波文庫 青 N 104-1) 文庫 – 2001/6/15
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,155","priceAmount":1155.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,155","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"pqAA8zNx44LUKWWq2VY9eU5PziK5uZF%2BpfQ8vUV7DeRUJu8SD1Sb%2FJqCkQ%2FleYZdEG5hah1eGVwmt2cKxh2vnC%2BAEfydFxOU49mgREwRQ2S8Loyum1v8lNQ73iD%2BDb2b","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
著者が思想的影響を受けた福沢を論じる
- ISBN-104003810414
- ISBN-13978-4003810415
- 出版社岩波書店
- 発売日2001/6/15
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 3.3 x 14.8 cm
- 本の長さ320ページ
よく一緒に購入されている商品
対象商品: 福沢諭吉の哲学 他六篇 (岩波文庫 青 N 104-1)
¥1,155¥1,155
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
¥1,518¥1,518
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り4点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2001/6/15)
- 発売日 : 2001/6/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 4003810414
- ISBN-13 : 978-4003810415
- 寸法 : 10.5 x 3.3 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 370,131位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 506位日本の思想(一般)関連書籍
- - 2,453位岩波文庫
- - 3,087位哲学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4つ
5つのうち4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
23グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
丸山眞男の福沢論が手に取りやすくまとめられています。
2015年3月10日に日本でレビュー済み
評者は『日本政治思想史研究』『現代政治の思想と行動』『日本の思想』といった丸山の主著がいずれも名著であることを認めるに吝かでないが、これらは良くも悪くも「近代的政治主体の形成」という丸山の強烈な課題意識に導かれたもので、必ずしも歴史的対象を総体として把握することを目指したものではない。よって学問的には恣意的ないし一面的であるという批判に晒されてきた。
そうした丸山のスタイルは、学問や知識とは状況に規定された課題に対処するための道具であるという、ある種のプラグマティズムに根ざすものだ。学的な認識自体はあくまで手段に過ぎず、重要なことはそれが絶対的な真理か否かではなく、目的たる課題に対して「相対的に」有用かどうかである。西洋合理主義も独立自尊という近代日本の国家命題に寄与する限りにおいて意義がある。目的と切り離してそれ自体を信奉するのは愚かなことだ。福沢に即しつつ、こうした丸山自身の方法意識を体系的に述べたのが表題論文の「福沢諭吉の哲学」である。これは文句なしに丸山の最高傑作である。並の保守論客では容易に論破できない説得力を持っている。一方この論文と対をなす「福沢に於ける「実学」の転回」は『日本政治思想史研究』以来の「作為の論理」の延長線上にあるもので、丸山の読者にはそれほど目新しくはない。
全体を通じて一つ問題提起するとすれば、丸山(=福沢)は固定的な価値規準への「惑溺」を「作為の論理」の観点から批判するが、自覚的な「惑溺」というものをどう評価するだろうか。ハイエクが最も洗練されたかたちで理論化したように、慣習や伝統の限界を知りつつも、それが歴史の風雪に耐えてきたというただ一点を拠り所に、複雑極まる人間社会を導くものとしては、愚かで不完全な人間の「作為」よりはるかに信頼に足るとする態度だ。もっとも、この問いにどう答えるかは究極的には論証を超えた生き方の問題であるだろう。その答がどうあれ本書の価値は不変である。
そうした丸山のスタイルは、学問や知識とは状況に規定された課題に対処するための道具であるという、ある種のプラグマティズムに根ざすものだ。学的な認識自体はあくまで手段に過ぎず、重要なことはそれが絶対的な真理か否かではなく、目的たる課題に対して「相対的に」有用かどうかである。西洋合理主義も独立自尊という近代日本の国家命題に寄与する限りにおいて意義がある。目的と切り離してそれ自体を信奉するのは愚かなことだ。福沢に即しつつ、こうした丸山自身の方法意識を体系的に述べたのが表題論文の「福沢諭吉の哲学」である。これは文句なしに丸山の最高傑作である。並の保守論客では容易に論破できない説得力を持っている。一方この論文と対をなす「福沢に於ける「実学」の転回」は『日本政治思想史研究』以来の「作為の論理」の延長線上にあるもので、丸山の読者にはそれほど目新しくはない。
全体を通じて一つ問題提起するとすれば、丸山(=福沢)は固定的な価値規準への「惑溺」を「作為の論理」の観点から批判するが、自覚的な「惑溺」というものをどう評価するだろうか。ハイエクが最も洗練されたかたちで理論化したように、慣習や伝統の限界を知りつつも、それが歴史の風雪に耐えてきたというただ一点を拠り所に、複雑極まる人間社会を導くものとしては、愚かで不完全な人間の「作為」よりはるかに信頼に足るとする態度だ。もっとも、この問いにどう答えるかは究極的には論証を超えた生き方の問題であるだろう。その答がどうあれ本書の価値は不変である。
2011年1月28日に日本でレビュー済み
三回以上通読したかと思います。
この本は確かに緻密に研究された結果の書だろうと思いますが、
福沢自身が著した文章とこの本を読み比べてみると、
感得される福沢像がかなり違います。
『福翁百話』を読みますと、福沢がどのような世界観・人生観を
持って、進歩主義、独立自尊主義を推進しようとしたのか、その核心的哲学が
明らかだと思うのですが、丸山氏の論文では、そうしたことに対する
言及はされているものの、あまり重視されてはおらず、
その結果 描かれる福沢像が、かなりつかみにくいものになっているように
感じられます。
この本に収められた、「福沢諭吉の人と思想」、次の
「福沢における「惑溺」」という丸山氏の
講演も、福沢理解の困難さを強調していて、あたかも
福沢の思想の核心はつかまえられないものであるかのような
印象を読者に与えるのですが、『福翁百話』に述べられている
宇宙観、人間観、人生観、儒教観、仏教観 等をたどっていくと、
生身の思索者としての福沢が明瞭に現れてきます。
この本は確かに緻密に研究された結果の書だろうと思いますが、
福沢自身が著した文章とこの本を読み比べてみると、
感得される福沢像がかなり違います。
『福翁百話』を読みますと、福沢がどのような世界観・人生観を
持って、進歩主義、独立自尊主義を推進しようとしたのか、その核心的哲学が
明らかだと思うのですが、丸山氏の論文では、そうしたことに対する
言及はされているものの、あまり重視されてはおらず、
その結果 描かれる福沢像が、かなりつかみにくいものになっているように
感じられます。
この本に収められた、「福沢諭吉の人と思想」、次の
「福沢における「惑溺」」という丸山氏の
講演も、福沢理解の困難さを強調していて、あたかも
福沢の思想の核心はつかまえられないものであるかのような
印象を読者に与えるのですが、『福翁百話』に述べられている
宇宙観、人間観、人生観、儒教観、仏教観 等をたどっていくと、
生身の思索者としての福沢が明瞭に現れてきます。
2005年11月29日に日本でレビュー済み
福沢諭吉の言説を追ってゆくと、その時々に応じて様々に変化していく。ある時には民権の拡張を唱え、またある時は富国強兵を主張する。朝鮮の政治指導者を保護するかと思えば脱亜論を発表するなど、後世の我々は、その振幅の激しさに戸惑わされることが多い。そこから福沢を変節漢・機会主義者と罵る声も起こってくるわけである。
丸山は福沢の著作を丹念に読み解き、一見矛盾に満ちた福沢の言説にある一貫性を明らかにしていく。その作業は良質の推理小説を読むような知的興奮を読者の我々にもたらしてくれる。読むべき一冊である。
ただ、福沢に関する予備知識がないと、学術論文だけにちょっと読むのが難しいかもしれない。同じく丸山による『「文明論之概略」を読む』や『福翁自伝』などもあわせ読むことをお勧めする。
丸山は福沢の著作を丹念に読み解き、一見矛盾に満ちた福沢の言説にある一貫性を明らかにしていく。その作業は良質の推理小説を読むような知的興奮を読者の我々にもたらしてくれる。読むべき一冊である。
ただ、福沢に関する予備知識がないと、学術論文だけにちょっと読むのが難しいかもしれない。同じく丸山による『「文明論之概略」を読む』や『福翁自伝』などもあわせ読むことをお勧めする。
2005年4月11日に日本でレビュー済み
福沢諭吉がもっとも警戒したのは、事物に「惑溺」するという態度であった。それは主体性が欠けていることの端的な表れだ。では、いったいどういう姿勢が必要なのか。しっかりとした独立心を持って主体的に行動しうる姿勢である。一身独立して一国独立す。いかにして主体性をもった国民による主権的国家を作るか。それはまた丸山真男の課題でもあった。
この本には丸山による福沢論の主だったものがほとんど収録されている。(ただし、『「文明論之概略」を読む』は収められていない。)読みすすむうちに、丸山が福沢の「知」の方法を解き明かしながら、その現代における意義を我々に伝えようとしている、その熱意が伝わってくるようだ。編者による解説も丁寧でわかりやすい。社会思想の書物としての充実度抜群で、読みごたえのある一冊である。
この本には丸山による福沢論の主だったものがほとんど収録されている。(ただし、『「文明論之概略」を読む』は収められていない。)読みすすむうちに、丸山が福沢の「知」の方法を解き明かしながら、その現代における意義を我々に伝えようとしている、その熱意が伝わってくるようだ。編者による解説も丁寧でわかりやすい。社会思想の書物としての充実度抜群で、読みごたえのある一冊である。
2003年8月28日に日本でレビュー済み
戦後日本の知性と呼ばれた丸山真男は、政治学を学ぶ上で避けて通ることの出来ない存在である。彼は日本の政治を丹念に論じ内外問わず多大な影響を与えたと言われる。福沢諭吉に関する論文を集めたこの本は「文明論之概略」を読む(岩波新書)とともに福沢の思想・哲学を掘り起こし、一般に流布されている功利主義者・福沢の語られていない側面を一流の分析で論じている。煎じ詰めれば丸山真男の著作を文庫版で読むことの出来る至福を感じつつ頁をめくること請け合いの本である。