プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
贈与論 他二篇 (岩波文庫) 文庫 – 2014/7/17
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,430","priceAmount":1430.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,430","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"5XsbrNFk2RVDZj3gXaobMINxb6PvEBWyA08E3%2FtwrF1WV1Wij4mwVr%2BrByZ3lVZpgfAc8IAhxz5DNyZ0OgFlHdLT1prQSrVQpx1%2B9SS1p3Vly73a4ouGvpIiK%2B3ibOA%2FFz%2FTEdmdNCw%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
贈与や交換は、社会の中でどのような意味を担っているのか? モース(1872-1950)は、ポリネシア、メラネシア、北米から古代ローマ、ヒンドゥー等の古今東西の贈与体系を比較し、すべてを贈与し蕩尽する「ポトラッチ」など、その全体的社会的性格に迫る。「トラキア人における古代的な契約形態」「ギフト、ギフト」の二篇と、詳しい注を付す。
- 本の長さ496ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2014/7/17
- 寸法10.5 x 2 x 15 cm
- ISBN-104003422813
- ISBN-13978-4003422816
よく一緒に購入されている商品
¥880¥880
最短で6月9日 日曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
¥1,980¥1,980
最短で6月8日 土曜日のお届け予定です
在庫あり。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2014/7/17)
- 発売日 : 2014/7/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 496ページ
- ISBN-10 : 4003422813
- ISBN-13 : 978-4003422816
- 寸法 : 10.5 x 2 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 70,874位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 154位社会と文化
- - 161位文化人類学一般関連書籍
- - 507位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マリノフスキーの「クラ」及びポラニーの「誇りを持った交換経済」を結ぶ書物として、読む価値あり(特にマリノフスキーの深読み)。但し、すべての交易が相互贈与の姿ではなく、逆に虚勢や利益至上主義的な行為が大きな位置を占めていたかもしれない実情を知りつつ、敢えて、意識的に著者は「贈与論」と言う書物にまとめたと考える。(虚勢による経済や、利益至上主義的経済の実例は多数あり、とりあえず爽やかに読みました。)
2016年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ちくま学芸文庫の『贈与論』(吉田禎吾・江川純一訳)と数カ所つきあわせて読んでみたのだけれど、こちら岩波文庫の森山工訳のほうがすんなり頭に入ってくる訳文だった。
たとえば第二章2のなかに、トロブリアンド諸島の「クラ」を説明する文章がある。吉田・江川訳はこうだ。
―「贈与そのものが極めて厳粛な形態をとっている。受け取った物を軽蔑し、あるいは警戒し、あるいは足元に投げつけた後で取り上げる。物を贈った方も極度に謙遜な態度を装う。贈り物がおごそかに運ばれてほら貝が鳴ると、贈った方は残り物に過ぎないものをさしあげると詫び、贈り物を相手の足元に投げつける。しかしながらほら貝が鳴り響き、語り手が引き渡しの儀式の開始を宣言すると、彼らは鷹揚さとともに、気前よさ、自律性を示そうとする。結局そこに働いているのは、義務のメカニズムであり、物を媒介にした義務のメカニズムにほかならない。」(74-75ページ)
誰が贈り物を誰の足元に投げつけるのか、ほら貝の鳴るタイミングはどうなのか、自律性をアピールする行為だという点と義務のメカニズムだと指摘する点とは、どういう議論の流れになっているのか、もっとわかりやすく書けないものかねと、もどかしくなる文章である。
他方、森山訳はこうなっている。
―「クラでの贈与行為は、それ自体としてきわめて儀式ばった様相を呈している。受け手のほうは、贈り手が物を足元に投げ出してもそれには見向きもせず、つまらぬ物を、というあつかいで、投げ与えられてしばらくたってから、ようやくそれを手にとるありさまである。贈り手のほうはというと、へりくだった風情を大袈裟に示す。ホラ貝の音にのって、恭しく贈り物をもってくると、残り物しかあげられなくてすまない、と言って詫びた上で、クラでの競合相手でありパートナーでもある相手の足元に、贈り物を投げつけるのである。この間、ホラ貝の音と弁者の口上が、その場の全員に対して引渡の儀式的性格を印象づけている。こうした式次第の全体を通じて当事者が追い求めているのは、気前のよさを示すことであり、何からも束縛を受けず自由であるさまを示すことであり、何にも影響されず自律しているのを示すことであり、そしてまた、みずからの偉大さを示すことである。そうであるにもかかわらず、結局のところそこに作用しているのは強制のメカニズムなのだ。それは、物による強制のメカニズムとさえ言えるものなのである。」(146-147ページ)
言葉数はずいぶん多くなっているが、しかし、わかりやすさは段違いである。場面が活写されていて当事者の動きもよく見えてくる。吉田・江川訳にはない「そうであるにもかかわらず」というつなぎ言葉などは、森山がこの文章の流れをきっちり把握していて、しかもそれを読者にしっかり伝えようという配慮をもっていることのあらわれだ。
フランス語が読めないので、原文と照らし合わせて訳の正確さを比べたわけではないけれど、日本語の本として読むならこの岩波文庫版を選んだほうがいいと思った。
たとえば第二章2のなかに、トロブリアンド諸島の「クラ」を説明する文章がある。吉田・江川訳はこうだ。
―「贈与そのものが極めて厳粛な形態をとっている。受け取った物を軽蔑し、あるいは警戒し、あるいは足元に投げつけた後で取り上げる。物を贈った方も極度に謙遜な態度を装う。贈り物がおごそかに運ばれてほら貝が鳴ると、贈った方は残り物に過ぎないものをさしあげると詫び、贈り物を相手の足元に投げつける。しかしながらほら貝が鳴り響き、語り手が引き渡しの儀式の開始を宣言すると、彼らは鷹揚さとともに、気前よさ、自律性を示そうとする。結局そこに働いているのは、義務のメカニズムであり、物を媒介にした義務のメカニズムにほかならない。」(74-75ページ)
誰が贈り物を誰の足元に投げつけるのか、ほら貝の鳴るタイミングはどうなのか、自律性をアピールする行為だという点と義務のメカニズムだと指摘する点とは、どういう議論の流れになっているのか、もっとわかりやすく書けないものかねと、もどかしくなる文章である。
他方、森山訳はこうなっている。
―「クラでの贈与行為は、それ自体としてきわめて儀式ばった様相を呈している。受け手のほうは、贈り手が物を足元に投げ出してもそれには見向きもせず、つまらぬ物を、というあつかいで、投げ与えられてしばらくたってから、ようやくそれを手にとるありさまである。贈り手のほうはというと、へりくだった風情を大袈裟に示す。ホラ貝の音にのって、恭しく贈り物をもってくると、残り物しかあげられなくてすまない、と言って詫びた上で、クラでの競合相手でありパートナーでもある相手の足元に、贈り物を投げつけるのである。この間、ホラ貝の音と弁者の口上が、その場の全員に対して引渡の儀式的性格を印象づけている。こうした式次第の全体を通じて当事者が追い求めているのは、気前のよさを示すことであり、何からも束縛を受けず自由であるさまを示すことであり、何にも影響されず自律しているのを示すことであり、そしてまた、みずからの偉大さを示すことである。そうであるにもかかわらず、結局のところそこに作用しているのは強制のメカニズムなのだ。それは、物による強制のメカニズムとさえ言えるものなのである。」(146-147ページ)
言葉数はずいぶん多くなっているが、しかし、わかりやすさは段違いである。場面が活写されていて当事者の動きもよく見えてくる。吉田・江川訳にはない「そうであるにもかかわらず」というつなぎ言葉などは、森山がこの文章の流れをきっちり把握していて、しかもそれを読者にしっかり伝えようという配慮をもっていることのあらわれだ。
フランス語が読めないので、原文と照らし合わせて訳の正確さを比べたわけではないけれど、日本語の本として読むならこの岩波文庫版を選んだほうがいいと思った。
2022年6月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
"贈与・交換の原則は(中略)貨幣が循環する市場、本来の意味での売買、とくに計算され、名前のついた貨幣で評価される価格の概念には達していなかった社会の原則であると考えて良いだろう"1925年発刊の本書は古代社会の慣行を比較考察『互酬的な贈与』を明らかにし大きな影響を与えた先駆的名著。
個人的には主宰する読書会の課題本として、またウィトゲンシュタイン哲学研究者による『世界は贈与でできている』を読んだ時に、わかりやすくもモヤモヤ感があったので、手にとってみました。
さて、そんな本書は西洋文明、資本主義が人間を『経済的動物』に変えてしまったと考えた社会学者、文化人類学者の著者が、一章から三章にかけて太平洋や北米の古代社会の慣習、ポトラッチやクラ。古代ローマ、古代ヒンドゥー、ゲルマンの法や宗教の慣行における【伝統的・儀礼的な交換】を考察。四章における結論として贈与が今日想像するような経済的な『富の蓄積や利益の確保』だけではなく、法、道徳、宗教、経済、身体的・生理学的現象といったものを含む【『全体的社会現象』の一つに過ぎない】とし、行き過ぎた資本主義社会の改善を提案『構造主義の祖』レヴィ=ストロースやバタイユなどの多くの思想家に影響を与えたとされる一冊なのですが。
なるほど、訳者あとがきにもあるように豊富な資料から様々な社会の比較研究を行っており、そのため各章の【注釈も言葉の意味も含めて、かなり細かく解説している】のですが。ただ、率直に言えば【著者の社会理想が全面に出過ぎている】ように感じ『論文』としては、全体的に【客観性に欠けている】ように感じました。
ただし、太平洋やアメリカの先住民たちを『未開や低級』と下層に捉える。現在感覚では【当然に間違った考え方や見方】が当時の西洋社会では支配的だった時代において、敬意をもって、彼らから学び、考察を図った【著者の先見性は素晴らしい】と思うし、結果としての『贈与』の捉え方は、グローバル資本主義、通貨経済に限界が感じられる【現代社会においても未だに通じる、一石を投じる考え方】だと刺激的でした。
古典的名著としてはもちろん。『お金のやりとり』だけを指すわけではない交換行為『贈与』に興味ある方にもオススメ。
個人的には主宰する読書会の課題本として、またウィトゲンシュタイン哲学研究者による『世界は贈与でできている』を読んだ時に、わかりやすくもモヤモヤ感があったので、手にとってみました。
さて、そんな本書は西洋文明、資本主義が人間を『経済的動物』に変えてしまったと考えた社会学者、文化人類学者の著者が、一章から三章にかけて太平洋や北米の古代社会の慣習、ポトラッチやクラ。古代ローマ、古代ヒンドゥー、ゲルマンの法や宗教の慣行における【伝統的・儀礼的な交換】を考察。四章における結論として贈与が今日想像するような経済的な『富の蓄積や利益の確保』だけではなく、法、道徳、宗教、経済、身体的・生理学的現象といったものを含む【『全体的社会現象』の一つに過ぎない】とし、行き過ぎた資本主義社会の改善を提案『構造主義の祖』レヴィ=ストロースやバタイユなどの多くの思想家に影響を与えたとされる一冊なのですが。
なるほど、訳者あとがきにもあるように豊富な資料から様々な社会の比較研究を行っており、そのため各章の【注釈も言葉の意味も含めて、かなり細かく解説している】のですが。ただ、率直に言えば【著者の社会理想が全面に出過ぎている】ように感じ『論文』としては、全体的に【客観性に欠けている】ように感じました。
ただし、太平洋やアメリカの先住民たちを『未開や低級』と下層に捉える。現在感覚では【当然に間違った考え方や見方】が当時の西洋社会では支配的だった時代において、敬意をもって、彼らから学び、考察を図った【著者の先見性は素晴らしい】と思うし、結果としての『贈与』の捉え方は、グローバル資本主義、通貨経済に限界が感じられる【現代社会においても未だに通じる、一石を投じる考え方】だと刺激的でした。
古典的名著としてはもちろん。『お金のやりとり』だけを指すわけではない交換行為『贈与』に興味ある方にもオススメ。
2020年6月23日に日本でレビュー済み
山田芳裕「
望郷太郎
」を読んでいて、ポトラッチに遭遇したシーンを見て、突然大学時代に読んだこの本を無性に読みたくなった。大学時代に読んだのは、有地亨訳の「
社会学と人類学Ⅰ
」、ちくま学芸文庫の𠮷田禎吾・江川純一訳「
贈与論
」も持っていたが、今回読んだのは、岩波文庫の森山工訳。日本でこの御三方の翻訳が出回っているにもかかわらず、マルクスに比べて一般の方には、ちっとも有名でない(学会では有名な名著ですが)。それが悔やまれる。
レヴィ=ストロースが高く評価して、有名になったことで知っている人は知っていると思うが、モースのこの思想を明確な意味で引き継いだ人は少ない。この翻訳の解説でモーリス・ゴドリエとか触れられているが、岩波文庫の解説で最も積極的に引き継いだジョルジュ・バタイユに触れていないのが明らかにおかしい(まあ、岩波書店の「政治」に興味はないけど)。
この本こそ、現代において読まなければならない名著と断言できる。近内悠太 「 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」など、私にとっては「今更」感がある。アダム・グラント「 GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 」という本も有名である。積極的に贈与経済を見直そうという動きそのものは歓迎したい。けれど、贈与の「マイナス面」が書かれているのは、知る限りではモースのこの本とバタイユの「 呪われた部分 」位だ。日本では故・今村仁司氏と栗本慎一郎氏あたりしか知らない。
「施しが、それを受け取る物を傷つける」、「富裕な「慈善家」がだれかに慈悲を施すことによって、その誰かを自分ではそれと気づかずに侮辱していることになるという事態」が発生し得るとモースは喝破するのだ。
贈与にはそういうマイナス面もあり、やがてその受け取った者は、お返しが出来ない事態ならば負い目を背負い、従属意識(負け犬の意識)に苦しむこととなる。これが現代の資本主義社会でどこでも起こっていることだ。善意とか慈悲というものが受けた者がそれ以上のお返しをしなければ、自らを誇示できないからだ。難題である。
この本の中でも紹介されている「クラ」交易のことを知りたければ、ブロニスワフ・マリノフスキ ー「 西太平洋の遠洋航海者 」をぜひ読んでほしい。
レヴィ=ストロースが高く評価して、有名になったことで知っている人は知っていると思うが、モースのこの思想を明確な意味で引き継いだ人は少ない。この翻訳の解説でモーリス・ゴドリエとか触れられているが、岩波文庫の解説で最も積極的に引き継いだジョルジュ・バタイユに触れていないのが明らかにおかしい(まあ、岩波書店の「政治」に興味はないけど)。
この本こそ、現代において読まなければならない名著と断言できる。近内悠太 「 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」など、私にとっては「今更」感がある。アダム・グラント「 GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 」という本も有名である。積極的に贈与経済を見直そうという動きそのものは歓迎したい。けれど、贈与の「マイナス面」が書かれているのは、知る限りではモースのこの本とバタイユの「 呪われた部分 」位だ。日本では故・今村仁司氏と栗本慎一郎氏あたりしか知らない。
「施しが、それを受け取る物を傷つける」、「富裕な「慈善家」がだれかに慈悲を施すことによって、その誰かを自分ではそれと気づかずに侮辱していることになるという事態」が発生し得るとモースは喝破するのだ。
贈与にはそういうマイナス面もあり、やがてその受け取った者は、お返しが出来ない事態ならば負い目を背負い、従属意識(負け犬の意識)に苦しむこととなる。これが現代の資本主義社会でどこでも起こっていることだ。善意とか慈悲というものが受けた者がそれ以上のお返しをしなければ、自らを誇示できないからだ。難題である。
この本の中でも紹介されている「クラ」交易のことを知りたければ、ブロニスワフ・マリノフスキ ー「 西太平洋の遠洋航海者 」をぜひ読んでほしい。
2021年7月12日に日本でレビュー済み
たまたま大学受験生さんたちと現代文の演習をしていたとき、『贈与論』に触発されて書かれた文章に出会うことが二、三回あって、興味を持ち、購入しました。
期待とともに読みはじめて、あまりの見事な叙述に引っ張られて、多くの注をかきわけて読むのはやや煩わしかったものの、第四章の見事としかいいようのない結論づけに、むしろ爽快なとさえ言いたい感銘をうけました。
従って「素晴らしい本ですから、ぜひ!」と言うより他にないのかもしれません。敢えて書くなら、私が日ごろ「贈答」ということで少なからず悩ませられたことの意味がストンと腑に落ちたことが、自分にとっての一番大きな収穫でした。何気なく社会に生きていることは、実はあり得ず、私たちは一見普通の経済の埒外にある「贈与」においてさえ、日々試されているのでしょう。そこには単に人間が社会内存在だということの再認識だけでなく、その是非・善悪が往々にして表裏一体となっている人間の本性について、自覚的にも考察を深めなくてはならないことを迫られる心地がします。
さらにこの書こそ、正確な問題設定と具体的研究の構成方法や、既存の用語や概念への対し方について、きわめて模範的なものだと思います。しかも象牙の塔の中の独善的言説とは全く正反対の、生彩のある視野が読み手に開けてきます。
期待とともに読みはじめて、あまりの見事な叙述に引っ張られて、多くの注をかきわけて読むのはやや煩わしかったものの、第四章の見事としかいいようのない結論づけに、むしろ爽快なとさえ言いたい感銘をうけました。
従って「素晴らしい本ですから、ぜひ!」と言うより他にないのかもしれません。敢えて書くなら、私が日ごろ「贈答」ということで少なからず悩ませられたことの意味がストンと腑に落ちたことが、自分にとっての一番大きな収穫でした。何気なく社会に生きていることは、実はあり得ず、私たちは一見普通の経済の埒外にある「贈与」においてさえ、日々試されているのでしょう。そこには単に人間が社会内存在だということの再認識だけでなく、その是非・善悪が往々にして表裏一体となっている人間の本性について、自覚的にも考察を深めなくてはならないことを迫られる心地がします。
さらにこの書こそ、正確な問題設定と具体的研究の構成方法や、既存の用語や概念への対し方について、きわめて模範的なものだと思います。しかも象牙の塔の中の独善的言説とは全く正反対の、生彩のある視野が読み手に開けてきます。
2014年8月21日に日本でレビュー済み
本書は、ポリネシア、メラネシア、そしてアメリカ北西部のアルカイックな部族たちによって実践されてきた、ポトラッチと呼ばれる贈与と返礼の習俗に着目し、それが人間関係、そして社会そのものを形成する重要な役割を持つことを明らかにしている。
そのうえで、古代ローマやインドやゲルマンの文献にあたることで、類似の習俗がこれらの文化においても存在していたことが示される。
言ってみれば、ポトラッチは、人類共通の遺産なのだ。
最終章では、ポトラッチの視点から現代社会の問題が明らかにされている。
ポトラッチの特徴は、持てる者には贈与の義務があり、それを受け取った者には返礼の義務があるということだ。その際、返礼は、受け取った物を上回らなければならない。いわば、倍返しの世界なのだ。ここにはある種の競合関係があり、しかるべき返礼をできない者は、名誉や地位を失いかねない。この背景にあるのは、贈与される物には「物の力」があるという信念だ。物は生き物であり、それを一方的に自分のもとに貯め込むことは所有者を害することになる。Giftという言葉が英語では「贈り物」、ドイツ語では「毒」を意味するのは偶然ではない。
この種の信念は、現代人から見ると途方もない浪費に思われるかもしれない。
低コストで高収入を得ることが賢いとみなされ、消費は自分や家族のためだけにするのが現代社会の風潮だからだ。
しかし、著者自身が最終章で述べているように、「公の場で物を与える喜び、美的なものへ気前よく出資する喜び、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」といったものは、いまこそ再評価すべきではなかろうか。
わが国の吝嗇文化に対する興味深い処方箋である。
最後に、本書は「解説」も含むと500字近いが、そのかなりの部分は註である。また、註以外にも補足説明も多い。それらはもちろん学術的に重要で、一般読者にとっても興味深い指摘も含んでいるが、さしあたって註や補足説明抜きに本文だけを読むことを薦めたい。
そのうえで、古代ローマやインドやゲルマンの文献にあたることで、類似の習俗がこれらの文化においても存在していたことが示される。
言ってみれば、ポトラッチは、人類共通の遺産なのだ。
最終章では、ポトラッチの視点から現代社会の問題が明らかにされている。
ポトラッチの特徴は、持てる者には贈与の義務があり、それを受け取った者には返礼の義務があるということだ。その際、返礼は、受け取った物を上回らなければならない。いわば、倍返しの世界なのだ。ここにはある種の競合関係があり、しかるべき返礼をできない者は、名誉や地位を失いかねない。この背景にあるのは、贈与される物には「物の力」があるという信念だ。物は生き物であり、それを一方的に自分のもとに貯め込むことは所有者を害することになる。Giftという言葉が英語では「贈り物」、ドイツ語では「毒」を意味するのは偶然ではない。
この種の信念は、現代人から見ると途方もない浪費に思われるかもしれない。
低コストで高収入を得ることが賢いとみなされ、消費は自分や家族のためだけにするのが現代社会の風潮だからだ。
しかし、著者自身が最終章で述べているように、「公の場で物を与える喜び、美的なものへ気前よく出資する喜び、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」といったものは、いまこそ再評価すべきではなかろうか。
わが国の吝嗇文化に対する興味深い処方箋である。
最後に、本書は「解説」も含むと500字近いが、そのかなりの部分は註である。また、註以外にも補足説明も多い。それらはもちろん学術的に重要で、一般読者にとっても興味深い指摘も含んでいるが、さしあたって註や補足説明抜きに本文だけを読むことを薦めたい。