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江戸芸術論 (岩波文庫 緑 42-7) 文庫 – 2000/1/14
永井 荷風
(著)
春信の可憐さ,歌麿の妖艶,北斎の硬質さ,広重ののどかさ-浮世絵の奥ぶかさと絵師たちのめざしたものを,図版にたよらずに,みごとな文章で論じた江戸芸術論集.滅びし江戸芸術への愛着が全体を貫き,浮世絵という小さな美を手がかりにして,日本の本質を探った1冊.谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の先駆的著作.(解説=高橋克彦)
- 本の長さ196ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/1/14
- ISBN-104003104277
- ISBN-13978-4003104279
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2000/1/14)
- 発売日 : 2000/1/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 196ページ
- ISBN-10 : 4003104277
- ISBN-13 : 978-4003104279
- Amazon 売れ筋ランキング: - 633,980位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
江戸芸術論……というタイトルですが、二十世紀初頭における浮世絵論。
海外での高い評価は逆輸入されていたものの、日本においてはまだ芸術だという見方が定着していなかった時代。
海外の研究者の浮世絵論を紹介しつつ、海外の浮世絵人気からは洩れた浮世絵師たちを拾い上げていこうという著者の姿勢に好感が持てます。
注目すべきは東洲斎写楽の扱いで、クルトの論を引きつつ、たったの2ページ!
当時はまだまだ評価が認められていなかったようで、隔世の感を感じます。
海外での高い評価は逆輸入されていたものの、日本においてはまだ芸術だという見方が定着していなかった時代。
海外の研究者の浮世絵論を紹介しつつ、海外の浮世絵人気からは洩れた浮世絵師たちを拾い上げていこうという著者の姿勢に好感が持てます。
注目すべきは東洲斎写楽の扱いで、クルトの論を引きつつ、たったの2ページ!
当時はまだまだ評価が認められていなかったようで、隔世の感を感じます。
2018年9月2日に日本でレビュー済み
江戸芸術全般ではなく、主には江戸時代の浮世絵について、大正年間、未邦訳の外国語文献も駆使して、一切図版を使わずに全般的に述べた本。好事家の域を超えて専門家の文章になっているが、絵を文章で説明する処は、荷風の面目躍如たる表現の筆が踊る。今年の「明治150年に読みたい岩波文庫」シリーズのマイ2冊目。
荷風の言いたいことは、冒頭論文「浮世絵の鑑賞」に尽きているだろう。特に以下の文章。
ああ余は浮世絵を愛す。苦界十年親のために身を売りたる遊女が絵姿はわれを泣かしむ。竹格子の窓によりて唯だ茫然と流るる水を眺むる芸者の姿はわれを喜ばしむ。夜蕎麦売の行燈淋し気に残る川端の夜景はわれを酔はしむ。雨夜の月に啼く時鳥、時雨に散る秋の木の葉、落花の風にかすれ行く鐘の音、行き暮るる山路の雪、およそはかなく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳もなく嗟嘆せしむるもの悉くわれには親し、われには懐かし。(略)
日本都市の概観と社会の風俗人情は遠からずして全く変ずべし。痛ましくも米国化すべし。浅ましくも獨逸化すべし。然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされたる火山質の島嶼の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽は猩々緋の如く赤かるべし。永遠に仲秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染め色の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて殊更に縮さざる限り、永遠に水櫛の鬢の美しさを誇るに値すべし。然らば浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語(ささやき)を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土とともに永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は今や挙げて尽く海外に輸出せられたり。悲しからずや。(19、23p)
解説の高橋克彦も述べているが、荷風は文章だけで浮世絵の魅力を伝えるのに成功している。「日本都市の概観と社会の風俗人情」は、今や、その儘「荷風の文章」と言って良い。それほどに「喪われた」。例えばカバー表紙の広重「浅草金龍山」を荷風はこう写している。
浅草観音堂年の市を描くに雪を以ってし、六花紛々たる空に白皚々たる堂宇の屋根を屹立せしめ、無数の傘の隊をなして堂の階段を昇り行く有様を描きしは常に寂寞閑雅を喜ぶ広重の作品としてはむしろ意外の感あり。(57p)
浅草観音堂の境内を描くにあたっても彼の特徴は水茶屋土弓場また見世物場等の群衆に非ずして、例へば雷門の大提灯を以て勢好く画面の全部を蔽はしめ、その下に無数の雨傘を描きたるが如きものとはなれり。(59p)
2018年8月読了
荷風の言いたいことは、冒頭論文「浮世絵の鑑賞」に尽きているだろう。特に以下の文章。
ああ余は浮世絵を愛す。苦界十年親のために身を売りたる遊女が絵姿はわれを泣かしむ。竹格子の窓によりて唯だ茫然と流るる水を眺むる芸者の姿はわれを喜ばしむ。夜蕎麦売の行燈淋し気に残る川端の夜景はわれを酔はしむ。雨夜の月に啼く時鳥、時雨に散る秋の木の葉、落花の風にかすれ行く鐘の音、行き暮るる山路の雪、およそはかなく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳もなく嗟嘆せしむるもの悉くわれには親し、われには懐かし。(略)
日本都市の概観と社会の風俗人情は遠からずして全く変ずべし。痛ましくも米国化すべし。浅ましくも獨逸化すべし。然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされたる火山質の島嶼の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽は猩々緋の如く赤かるべし。永遠に仲秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染め色の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて殊更に縮さざる限り、永遠に水櫛の鬢の美しさを誇るに値すべし。然らば浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語(ささやき)を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土とともに永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は今や挙げて尽く海外に輸出せられたり。悲しからずや。(19、23p)
解説の高橋克彦も述べているが、荷風は文章だけで浮世絵の魅力を伝えるのに成功している。「日本都市の概観と社会の風俗人情」は、今や、その儘「荷風の文章」と言って良い。それほどに「喪われた」。例えばカバー表紙の広重「浅草金龍山」を荷風はこう写している。
浅草観音堂年の市を描くに雪を以ってし、六花紛々たる空に白皚々たる堂宇の屋根を屹立せしめ、無数の傘の隊をなして堂の階段を昇り行く有様を描きしは常に寂寞閑雅を喜ぶ広重の作品としてはむしろ意外の感あり。(57p)
浅草観音堂の境内を描くにあたっても彼の特徴は水茶屋土弓場また見世物場等の群衆に非ずして、例へば雷門の大提灯を以て勢好く画面の全部を蔽はしめ、その下に無数の雨傘を描きたるが如きものとはなれり。(59p)
2018年8月読了
2012年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すばらしい鑑賞眼と、知識。性を楽しみ、悦楽を肯定する事と、人間的の格とは無関係という事がわかる本。
2002年11月8日に日本でレビュー済み
浮世絵などを対象にしているにもかかわらず、本書には一切図がない。すべてを文章で論じているのが、荷風の真骨頂ではなかろうか。読者の頭の中に映像を生じさせるのだから。
2012年9月21日に日本でレビュー済み
永井荷風の浮世絵を中心にした、江戸芸術論。
浮世絵は、荷風にとっては、”宗教の如き精神的慰謝を感ぜしむるなり”ほどの存在だった。
その荷風の浮世絵に対する、深い知識と、厚い愛情が感じられる。
その一方で、これは、単なる江戸芸術の礼賛論ではなく、
明治維新とともに、その江戸芸術を封印してしまい、無視してしまった、
当時の西洋かぶれの日本社会への批判の書でもある。
浮世絵は、荷風にとっては、”宗教の如き精神的慰謝を感ぜしむるなり”ほどの存在だった。
その荷風の浮世絵に対する、深い知識と、厚い愛情が感じられる。
その一方で、これは、単なる江戸芸術の礼賛論ではなく、
明治維新とともに、その江戸芸術を封印してしまい、無視してしまった、
当時の西洋かぶれの日本社会への批判の書でもある。