出版社内容情報
わが国を代表する指揮者・小澤征爾は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか。日本人が西洋音楽を奏する意味を真摯に問い直す。
日本人指揮者である小澤征爾が、ウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられたのは、画期的な出来事だった。それは、オペラの総本山が真の国際化に乗り出したということであり、また日本の異文化受容の到達点を示してもいる。
▼世界の小澤が奏でるモーツァルトは、伝統的な解釈から解放されているのが魅力だ。しかし、このことは「音楽に国境はない」ことを意味しない。日本人は、自らが日本人であることを自覚することからしか、西洋音楽に近づく術はない――そのことを小澤は誰よりもよく知っていた。小澤の音楽は、「からごころ」という言葉を通じて展開される本居宣長の思想と、根底で通じ合っているのである。
▼小澤は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか? 本書はモーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの演奏解釈を通して、さらに菊池寛、小林秀雄、三島由紀夫などの言葉を通して、小澤征爾が目指す音楽の本質を明らかにする。
●第1章 「文化的・平和的掠奪行為」としての西洋音楽
●第2章 何人かの「父」
●第3章 「透明なブラームス」の是非
●第4章 疾走する『荘厳ミサ曲』
●第5章 ショスタコーヴィチの「叫び」
●第6章 オペラという伏魔殿
●第7章 菊池寛とチャイコフスキー
内容説明
日本人指揮者である小沢征爾が、ウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられたのは、画期的な出来事だった。それは、オペラの総本山が真の国際化に乗り出したということであり、また日本の異文化受容の到達点を示してもいる。世界のオザワが奏でるモーツァルトは、伝統的な解釈から解放されているのが魅力なのだ。モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの演奏解釈を通して、さらに菊池寛、小林秀雄、三島由紀夫などの言葉を通して、小沢征爾が目指す音楽の本質を明らかにする。
目次
プロローグ 音楽には国境がある
第1章 「文化的・平和的掠奪行為」としての西洋音楽
第2章 何人かの「父」
第3章 「透明なブラームス」の是非
第4章 疾走する『荘厳ミサ曲』
第5章 ショスタコーヴィチの「叫び」
第6章 オペラという伏魔殿
第7章 菊池寛とチャイコフスキー
エピローグ 西洋音楽と「からごころ」
著者等紹介
遠藤浩一[エンドウコウイチ]
1958年石川県金沢市生まれ。民社党月刊誌編集部長、広報部長などを経て、現在、評論家、拓殖大学日本文化研究所客員教授、情報工学センター代表取締役。新しい歴史教科書をつくる会副会長等も務める
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