PHP新書
小沢征爾―日本人と西洋音楽

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 新書判/ページ数 243,/高さ 18cm
  • 商品コード 9784569637761
  • NDC分類 762.1
  • Cコード C0273

出版社内容情報

わが国を代表する指揮者・小澤征爾は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか。日本人が西洋音楽を奏する意味を真摯に問い直す。

日本人指揮者である小澤征爾が、ウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられたのは、画期的な出来事だった。それは、オペラの総本山が真の国際化に乗り出したということであり、また日本の異文化受容の到達点を示してもいる。

▼世界の小澤が奏でるモーツァルトは、伝統的な解釈から解放されているのが魅力だ。しかし、このことは「音楽に国境はない」ことを意味しない。日本人は、自らが日本人であることを自覚することからしか、西洋音楽に近づく術はない――そのことを小澤は誰よりもよく知っていた。小澤の音楽は、「からごころ」という言葉を通じて展開される本居宣長の思想と、根底で通じ合っているのである。

▼小澤は、いかにして西洋楽壇の頂点に到達しえたのか? 本書はモーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの演奏解釈を通して、さらに菊池寛、小林秀雄、三島由紀夫などの言葉を通して、小澤征爾が目指す音楽の本質を明らかにする。

●第1章 「文化的・平和的掠奪行為」としての西洋音楽 
●第2章 何人かの「父」 
●第3章 「透明なブラームス」の是非 
●第4章 疾走する『荘厳ミサ曲』 
●第5章 ショスタコーヴィチの「叫び」 
●第6章 オペラという伏魔殿 
●第7章 菊池寛とチャイコフスキー 

内容説明

日本人指揮者である小沢征爾が、ウィーン国立歌劇場の総監督に迎えられたのは、画期的な出来事だった。それは、オペラの総本山が真の国際化に乗り出したということであり、また日本の異文化受容の到達点を示してもいる。世界のオザワが奏でるモーツァルトは、伝統的な解釈から解放されているのが魅力なのだ。モーツァルト、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなどの演奏解釈を通して、さらに菊池寛、小林秀雄、三島由紀夫などの言葉を通して、小沢征爾が目指す音楽の本質を明らかにする。

目次

プロローグ 音楽には国境がある
第1章 「文化的・平和的掠奪行為」としての西洋音楽
第2章 何人かの「父」
第3章 「透明なブラームス」の是非
第4章 疾走する『荘厳ミサ曲』
第5章 ショスタコーヴィチの「叫び」
第6章 オペラという伏魔殿
第7章 菊池寛とチャイコフスキー
エピローグ 西洋音楽と「からごころ」

著者等紹介

遠藤浩一[エンドウコウイチ]
1958年石川県金沢市生まれ。民社党月刊誌編集部長、広報部長などを経て、現在、評論家、拓殖大学日本文化研究所客員教授、情報工学センター代表取締役。新しい歴史教科書をつくる会副会長等も務める
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Naota_t

5
★3.2/タイトルの主と副が逆だと思った。何を書きたいのか「後記」を読んで理解できたが、それまで分からなかった。オーケストラに興味がないので新鮮に読めた。西洋音楽は西洋のもので、日本人が指揮する際、常にその問題が付きまとう。同じ理論を使うと、日本人は洋服を作れないことになるがそんなことはない。むしろ客観的に分析できる利点がある。小澤氏はそれ(訓読み)が上手かったのだろう。ーーー僕自身には伝統がないですからね。それが強みだと思っています。いい伝統も悪い伝統もない。だから勉強したことがそのまま出る(p165)2023/05/23

hr

1
以前にいつ読んだのか覚えていないが、再読らしい。どこから読み始めてもいいし、どこで読むのをやめても全く差し支えのない本。あと、強烈な佐渡裕批判があって、そこは面白い。2017/01/03

Hiroshi Minami

1
どこから突っ込んでいいか。。。。2013/10/23

ハード堅井

0
小澤征爾を中心とした日本文化論。ショスタコーヴィチのお話は興味深かった。2012/02/16

agri

0
小澤征爾の成功から日本の西洋音楽の現状へと切り込む2009/11/04

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/215791
  • ご注意事項