中公新書<br> 映画館と観客の文化史

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中公新書
映画館と観客の文化史

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  • サイズ 新書判/ページ数 302p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121018540
  • NDC分類 778.09
  • Cコード C1274

内容説明

映画はいったいどこで見るべきものなのだろうか。ホームヴィデオの普及以降一般的になった、個人的な鑑賞は、果たして映画の本来的な姿から遠ざかってしまったものなのだろうか。本書は、黎明期から今日までの一一〇年間の上映形態を入念にたどりながら、映画の見かたが、じつは本来、きわめて多様なものだったことを明らかにする。作品論、監督論、俳優論からは到達し得ない映画の本質に迫る試みである。

目次

はじめに パノラマ館を見る―絵画、幻燈、写真、映画、ヴィデオ・ゲーム
理論的予備考察
第1部 アメリカ篇(映画を見ることの多様性;一九〇五年から三〇年代までの映画館;オルターナティヴ映画館;テーマパークの映画館;観客の再定義)
第2部 日本篇(日本映画の問題の傾向と対策;映画都市の誕生―戦後京都の場合;多種多様な観客)

著者等紹介

加藤幹郎[カトウミキロウ]
1957年(昭和32年)、長崎市生まれ。映画批評家、映画学者、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヨーイチ

34
1956生まれとしては映画はまぁ人並み。この歳になると昔の日本映画などは俳優、記録、記憶などが脳髄を刺激してくれて、ため息が出る時間を与えてくれる事も多い。この著者は初読だが、作品・俳優・監督が殆ど出てこない映画館史は「映画」を考える上でユニークな教本であった。パノラマ館から始まる映画館の発生は新知識で新しい大衆文化史(アメリカの)は読み応え充分。ドラマ論とか人間描写評価だけでは分からない「映画」の発達と衰退、変貌ってのは正に我々の世代が体験して来た歴史であったのだと実感する。続く2021/10/03

Kouro-hou

23
主に何かを見せるモノの箱とインフラとしての映画館の歴史。なので開始地点はパノラマ館でニッケル硬貨で一人覗く箱置き場も含まれる。この本の良い点は会報誌の投稿欄まで突っ込んで、この時点で法的な映画館の状況が客目線的には実際はこんな感じだった、というズレが分かりやすい点。悪い点はやたら文章が仰々しいあたりw 日本の映画館に頁が割かれている分、映画が盛り上がってきて危機意識をもった演劇がいかに対抗・融合しようとしたか、舞台背景に映像を流してみたり、映画側が弁士から俳優に切り替えたりの途中経過も面白い。2023/02/05

gorgeanalogue

13
映画館が観客の共同性構築と均質化が拮抗する場所であったことをめぐる。それそのものが「映画の本源的異質性、還元不可能な絶対的異質性の証」である。ただ、スマホによる鑑賞(キネトスコープへの回帰)が何をもたらすかまでは触れない。映画の物質的諸条件が「観客の欲望がどのように分節」するのかという問い、また「映画とは都市の函数である」という指摘は新鮮だし、面白いが、大仰な語り口にはやや辟易する。「ニッケルオディオン」なる珍妙な単語についてはアマゾンレビュアーの指摘の通り。2022/05/03

bapaksejahtera

10
映画史に比し、観客と映画館の態様の変遷を述べる文献は余り眼にしない。歳を取って映画館に行くことがなくなり何年振りかで行くや映写室がないのに驚いた事もあるので、本書により映画鑑賞の草創期から今日のシネコン隆盛の時代までの変遷を知る事ができ有意義ではあった。米国の映画館史を先ず紹介するのは先進国事象を参照する常道とは思うが、その後の我が国の映画館史については紙幅と共に内容が極めて薄く、殆ど「日本映画発達史」で足る。文体もTVを態々テレヴィとし、メディアを単複使い分ける、聞いた風な価値観押付の衒学口調。失望した2022/04/08

ネムル

10
「映画が立ち現れる場所以外に映画に訪ねるべき起源がない」。作品論や監督論でなく、映画を観るという経験そのものを取り上げた一冊。VHS/DVDの普及における映画の受容から、リュミエール兄弟のシネマトグラフに起源を求める定説に再度疑問を投げかける。巌谷國士に見るような「魔術的空間としての映画館」などを考え直すによい。また、映画の草創期ニッケルオデオンのシネマとマジック・ランタンの共存を取り上げ、祝祭空間としての映画館と新移民の関係性に言及するなど非常に刺激的だった。2014/01/25

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