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太宰治 著、新潮社、1985.96村上 ひなた(経済学部 1年)私をわかってくれるのは、太宰治だけではないかと思う。そして、彼をわかっているのも、私だけなのだと思う。いつも、太宰治の本を読むと、そんな気がしてくる。太宰治の本の前では、心の弱いところをすべてさらけだすことができる。嘘も虚勢も通じないのではない、認めるのだ。『晩年』は、そんな太宰治のデビュー作である。デビュー作とは、尊いものである。代表作に比べ、洗練されていないとしても、すべてを賭けた、その熱が胸に響くからである。太宰治は好きな作家の一人であるが、やはり『晩年』はとりわけ好きな作品の一つであるといえる。『晩年』は、いくつかの物語が入った、短編集である。だから、たくさんある物語の中で、あなたに合った作品が見つかるだろう。それは共感であったり、驚きであったりするかもしれないが、あなたのなかで何かがきっと変わると私が保証しよう。そのなかでも好きな短編を紹介したい。それは『葉』である。実は、『葉』も短編集なのであるが、他にも『逆光』という短編集も入っている。短編集の中に短編集たくさんが入っているというのは、なんともマトリョーシカ的である。さて、ここでその一節を引用する。『死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。』最初は、なんてきれいなのだろうと思った。そして共感した。人間、生きていればたくさんの辛いことがある。生きるのをやめたいと、そう思うこともある。しかしここまで生きてこられたのは、そうした小さな希望の積み重ねがあったからではないか。いつのことだっただろう。家族とうまくいかなくなって家出をしようとしたしたことがあった。そうして玄関の扉を開けた先には、桜桃の実がなっていた。祖父母が私に、五歳の誕生日にとくれたものだった。そうして一気に高ぶった気持ちが冷めたことを思い出した。当時死のうと思ったわけではなかったし、本質的には違う体験である。しかし、私はたしかに共感し、同じものを感じたのである。私をわかってくれるのも太宰治をわかっているのもわたしだと言った。しかし撤回しよう。この作品を読むと、わたし、は、あなた、に置き換わる。だから、もう無理だと、生きていけないと、そう思ったとき、この作品を読んでほしい。きっとそれはあなたの大切なものになるはずだ。何かに気付くことや、新たな発見をすることがあるかもしれない。涙を流すことがあるかもしれない。『晩年』はあなたにだけの感性に必要なものをもたらしてくれるだろう。そして、あなただけのものになる。そんな人を渡って変化する作品なのだ。補足としてであるが、発売当初の形と同じ、復刻版の『晩年』が龍谷大学には存在する。館内で読めるので、一度是非手に取ってほしい。特別賞『晩年』

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