村田沙耶香 著、朝日新聞出版、2012.休み時間になると席を立ち、校舎の中を歩いて時間を潰す。授業の合間の十分休みは、新校舎を一周。四十分ある昼休みは、新校舎と旧校舎を二周ずつ回ってトイレに三か所立ち寄ると終わる。私は規則正しくそうして歩き回りながら、休み時間を過ごした。騒がしくてあわただしい教室の中で、私の時間だけが、やけにゆっくりと流れていた。93横山 真奈(文学部 臨床心理学科 4年)思春期の、ひりひりと焼けつくような痛みや息を殺してすごす毎日は、いつの間にか過ぎ去ってしまう。ねっとりと肌にまとわりついて不快でしかなかったあの感覚を、今でもはっきりとおもいだせる気がするし、もう一生おもいだせないようにも感じられる。この小説は、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香が、女の子からひとりの少女になる過渡期に、開発途上の真っ白なニュータウンの中で同級生たちとの過ごす日々を生々しく描いた作品である。小学生では仲の良かった友だちが、中学生になるとクラスの中でカーストが分かれてまるで他人のように目も合わせない。学校生活の中でひとつでもミスを犯すと最下層のカーストまで落とされて人権を失っていく。いわゆる“スクールカースト”(鈴木、2012)の中では、歪んでいるとはいえ、恋心ですら自らに決定権がないのだ。真っ白いニュータウンという白い檻から出られないメタファーが、学校生活から逃れることのできない思春期の子どもたちの様子と重なる。(本文より)ひとりでふらふらと校内をさまよいあるく主人公が、昔の自分と重なって胸を搔き乱されるほどのくるしさと、わたしだけではなかったのだという安心感が同時に押し寄せてくる。しかし、物語の終盤に教室で人権を失った主人公は、自分だけの価値観をみつけて白い檻から抜け出してしまう。朝は授業開始1分前に気配をけして教室にはいった。休憩時間はゆっくりと廊下をあるいてきたないトイレで時間をかせいだ。昼休みはごめんなさいと今日もこころの中で母にあやまりながら、小さく握ってもらったおにぎりをカバンに残して図書館で自習をしている“ふり”をする。授業が終わると体にしみついたくさいにおいをふりはらうように電車にかけこんでひとりで遅い昼ごはんをたべた。だいじょうぶだった、今日も泣かずにいちにちをすごせたと、ご飯と一緒に苦しみをのみこむ。わたしはまだ、教室という檻からぬけだせていない。優秀賞『しろいろの街の、その骨の体温の』
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