大谷 瑞穂(文学部 臨床心理学科 2年)あなたは、どんな人生を歩んでいますか。この作品の登場人物たちは、それぞれの最も大事な人のことを想って祈り続ける人生を歩んでいた。主人公である刑事の加賀恭一郎は、孤独死した母が幸せだったことを祈り続けた。夢見た舞台を実現させた女性演出家は、苦労をさせた父の幸せと、自身の成功を祈り続けた。彼女の父は、自身の幸せよりも、自身の平穏な生活よりも、娘の幸せな日常を祈った。そして、主人公の母は、遠い地に住む息子の幸せを祈り続けて、独りで死んだ。それぞれの人生が複雑に折り重なり、登場人物たちの生き様がとても濃厚に描かれていく。この作品は、そのあまりにも濃厚な人生を淡々と描いている。しかし、決して悲劇ではないのだ。なぜなら、それが彼らの人生だから。悲劇ではなく、人生を生きるしかないという覚悟が彼らを生かし祈らせ続けた。自らの祈りのために、誰かの祈りのために、人を殺め、逃げ、そして生きて祈った。それが彼らの人生だった。私はこの作品を読んで、生きていくしかないのだという覚悟を得た。私には2つ年下の弟がいる。弟は、発達障害と知的障害を持っている。私は弟が嫌いだった。私は家族が嫌いだった。その罪悪感が、私にはある。そして私は、弟が嫌いな私が嫌いで、一生終わらない自己嫌悪と自責の念の中で生きている。私は弟のことが嫌いだったけれど、弟が大人になっても困らないように支えなければならない、生きていなければならないと思っていた。同時に、私は終わらない自己嫌悪と自責の念をいつか終わらせて、家族を嫌う自分の存在を許したいと思っていた。しかし、この思いは祈りなのだと、この作品を読んで私は感じた。作品の登場人物と同じ、誰かのための祈りなのだと。同時に、私自身のこの人生もまた、悲劇ではないと、“人生”なのだと強く思った。この本の帯には「悲劇なんかじゃない。これが私の人生。」と綴られている。私の人生も「悲劇なんかじゃない。これが私の人生。」と、そう覚悟することで、弟のことも私自身の感情も受け止めることができた。私は、弟が障害者であることを今は悲劇だとは思っていない。弟のために生きる人生を今は生きていくしかない。そして弟が幸せな日々をおくり、また私が私自身によって許される日が来ることを、私は祈り続けている。その時が来ることを、私は生きて待っている。弟の幸せと私自身の幸せを祈っている。登場人物たちの、祈り続けてきた人生の幕が下りるとき、すべての出来事が明らかになる。そうしてある人には死という終焉が訪れ、ある人には生きていくという強い覚悟と共に、新たな人生が始まる。この作品は、人生に覚悟をもたらしてくれる。それが、あなたの人生なのだと、覚悟をもたらしてくれる。あなたは、どんな人生を歩んでいますか。その人生を歩んでいく覚悟はありますか。83大 賞『祈りの幕が下りる時』東野圭吾 著、講談社、2013.
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