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原研哉 著、中央公論新社、2018.崎野 知哉(経済学部 国際経済学科 2年)白は色なのであろうか。今日、色彩はマンセルの表色系、F.W.オストワルの表色系などの表色系と呼ばれる確立された色の体系がある。しかし、人間は日常生活で、それを用いて、色を感じ取るわけではない。それには物質性や質感は考えられていない。「記憶の束から思いつくままに百の白を引き抜き、一葉ずつの『白』を味わってみたい。もはや、『白い』という形容も希薄になるほどに。」本書は、色としての白ではなく、色の属性を超えた、より具体的な事象としての「白」を百、語る。いくつか紹介すると「漆喰」「箱」「浴衣」「鍾乳洞」「リズム」「正方形」など様々である。私が興味深く感じた「箱」についての一部を紹介しよう。「箱は魔物である。なんの変哲のないものでも、箱に収まると立派に見える。(中略)異形の収蔵物であっても、見事に形状通りに内蔵された完璧な出来映えの箱を見せられると、それだけで畏れ入った気分になる。(中略)勿体つけるという言葉がある。品位や重々しさを演出するという意味である。箱は「勿体」を担うために考案さら進化を遂げた道具かもしれない。」私は、百の白をゆっくりと時間をかけて味わう中で白の中に「空」「余白」「間」「無」「儚さ」「弱さ」「脆さ」のようなものを感じた。そして、私は、数日前に訪れた「出町座」という小さな映画館を思い出した。大きな映画館では放映されないようなマイナーな映画が放映されている。その時は、無声の白黒の映画にポーランドの2人組の演奏家が上映に合わせて、即興で生演奏してくれるというものであった。少しでも間違えれば、ドミノのようにパタパタと後の演奏にもたれかかっていくだろう。即興で生演奏というものに「脆さ」「弱さ」を感じつつも、完璧にこなす彼らに「尊さ」をも感じた。その時、その場限りという「儚さ」、しかしその「儚さ」故の「美しさ」があるのではないだろうか。映画を見終わった後、年配の元気な男性とひょんなきっかけから話をした。そして、暫く話をしているうちに、その男性は俳優であることがわかった。年代を超え、映画の感想を話し合い、なんとも不思議な空間であった。SNSでいつでも繋がれる今日において、一期一会の唐突な出会いもまた儚くもあり、美しいもののように思えた。これらには、「白」に通ずるものがあると感じた。本書は本自体も「白」の特徴をふんだんに使った仕様である。真っ白な紙に存在感のある明朝体が高級感を与え、背景との明暗を与える。また装丁の質感も工夫されており、緊張感すら感じる。図書館という多くの人の手に触れる場所に置くことにより、白い本は、だんだんと白ではなくなっていく。しかし、この経過にも侘び寂びのような趣を感じる。本書での白の百本ノックにより、私の感覚の目盛りが少し細かくなったのかもしれない。79優秀賞『白百』

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