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77牧野 鼓夏(文学部 哲学科 1年)1971年に公開されたルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』といえば、作中で美しいポーランド貴族のタッジオを演じるビョルン・アンドレセンの存在を以てして、映画における美少年を語る際には外すことができない作品である。その圧倒的な美貌で多くの者を熱狂の渦に巻き込んだアンドレセンは、タッジオ役を探し求めヨーロッパじゅうを飛び回っていたヴィスコンティの目に留まり、数千人にものぼる候補者の中から選ばれたという。主人公であるアッシェンバッハを魅了するタッジオという少年を映像で再現するには、それほどの労力を必要としたということだ。高名な老作家が美しい少年に強く惹かれていく様が描かれた本作のあらすじは、言葉にすると存外呆気ない。静養のためにヴェネツィアを訪れたグスタフ・アッシェンバッハは、滞在先のホテルでポーランド貴族の一家に出会い、そこでタッジオの姿を見つける。そのあまりの美しさに一瞬で心を奪われたアッシェンバッハは、海辺で遊ぶ姿を眺めたり、家族と出かける後をつけたりと、激しい恋情に身を焦がし、彼にのめり込んでいく。ともすれば恋に狂った老人が美しい少年を追いかけまわし、盲目的に入れあげる物語だと簡潔に語られてしまいかねない。しかし豊かな表現を通して描写されるタッジオというどこか気だるげな雰囲気をまとった少年の完璧な美しさ、そして彼に心を奪われたアッシェンバッハの歓喜や緊張は、読者をまるでゴンドラに揺られているかのような情感の波へといざなう。冒頭から中盤にかけて描写される、アドリア海沿岸の保養地を経てヴェネツィの地に降り立つまでのアッシェンバッハの独白は、どこか鬱屈としており息苦しい。しかしホテルでタッジオを一目見た瞬間から物語はがらりと色を変え、執着へのわずかな罪悪感をはらみつつも、恋がアッシェンバッハに与えた歓喜に満ち溢れる。その一方でタッジオは、アッシェンバッハが自身に並々ならぬ関心を寄せていることを知ってか知らずか、ときおり彼のそばで腰に手を当てて佇んだり、彼を振り返って微笑んでみせたりする。そうして物語を追っていくうちに、だんだんとタッジオに心惹かれるとともに、アッシェンバッハの感情が流れ込んでくるような感覚を覚えるのだ。最終章で発覚するあることを契機に、物語はゆるやかに終息へと向かう。タッジオに気に入られたいと望むアッシェンバッハに理髪師は手を施し、「お客様はこれで思う存分恋をしていただけます」と告げる。観光客の数が減ってもなお、タッジオがそこにいる限り、アッシェンバッハはヴェネツィアに留まり続ける。結末を見届けた時、この老人を哀れだと思うか、はたまた幸せだと思うか、ぜひ考えてみてほしい。優秀賞『ヴェネツィアに死す』マン 著;岸美光 訳、光文社、2007.

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