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70山口 絢子(文学部 哲学科 4年)先斗町、下鴨神社、今出川通—。京都の大学に通う者ならば馴染みの深い言葉に違いない。私が紹介する本は、京都を舞台に繰り広げられる恋愛コメディである。『夜は短し歩けよ乙女』は森見登美彦の主著の一つである。数多くの賞を受賞し、映画化もされている。京都の大学に通う主人公「先輩」と、彼が思いを寄せる後輩の「黒髪の乙女」が、それぞれの視点で自身の身に起きる出来事を語っていく。四章構成となっており、一章ごとに春夏秋冬の出来事が繰り広げられている。一章の春では京都の夜の街を歩き酒を酌み交わし、二章の夏は古本市へと赴き、三章の秋は学園祭が開かれ、四章の冬では登場人物たちが軒並み風邪の神様に憑かれてしまう。摩訶不思議、奇想天外、リズムの良い文体と独特な言い回しは、読者を怒涛の展開に引き込む。本作の魅力の一つは癖の強い周りの登場人物たちだろう。現実的な舞台に登場する、非現実的な人物たちはストーリーをファンタジーへと変貌させる。しかし、主人公が平凡かというとそうとも言えない。「かつて『左京区と上京区を合わせてもならぶものなき硬派』という勇名をはせた私が、今やなんとか彼女の眼中に入ろうと七転八倒している。私はその苦闘を『ナカメ作戦』と名付けた。これは、『なるべく彼女の目にとまる作戦』を省略したものである」(p.147)なんとも可笑しい作戦であるが、本人はいたって真面目である。この主人公が自身の心のうちで猛烈に独り言を語り、時に暴走しているのも見どころである。おそらく多くの読者が、本作は“非現実的青春”だと感じるだろう。しかし一方で「大学生」という存在はそのファンタジーさえも包含した存在だと、私たちはどこかで感じているのかもしれない。作中で主人公は黒髪の乙女が探していた『ラ・タ・タ・タム』という絵本を手にすることとなる。原作では二章でそれが黒髪の乙女の手に渡るのに対して、映画では最後の場面で乙女のもとに落ち着く。この『ラ・タ・タ・タム』が、本作での“マクガフィン”となっているのであろう。そしてこれは私たちの生活でも無意識的に起こっていると思えた。誰かの手に渡るべきものが、予想外の経緯を経て、新たな出来事もしくは新たな繋がりを生むこととなるのである。そしてそれは登場人物たちのように「歩く」ことで実現していくのだろう。私は本作の最後の場面が好きだ。主人公と黒髪の乙女が喫茶店で待ち合わせをし、着くまでにそれぞれが相手にあの夜どんな時間を過ごしたのか聞こうと思い至る。今の私が誰かと待ち合わせをしたら、何を聞き何を話すだろうか。本作を読むと、古本市に赴いたり、友人と詭弁を交わしたり、好きな人を追いかけたり—そんな大学生活があったのだろうかと考える。本作は、夜は短し、されども長しと私たちに語ってくれる。大学生活は短い。京都の大学生活をまだ残す後輩たちへ、この本が何かの“御縁”となるよう、私の推薦本とする。優秀賞『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦 著、角川書店、2006.

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