62志田 夏美(文学部 歴史学科 2年)彼らの冒険は、長く、そして険しい道のりであった。それは、鬱蒼と茂るジャングルの畦道や、豪雪地帯の途方もない大雪原のような厳しい自然の険しさではなく、もっと人工的な、国際社会の緊張関係のうねりの中に、彼らの旅路はあったのである。彼らとは、世界的に有名な物理学者リチャード・ファインマンと、著者ラルフ・レイトンのことで、作者は『ご冗談でしょう、ファインマンさん』等、数々のベストセラーを輩出。親子ほど年の離れた二人はドラムを通じて親睦を深め、そこで聞いたファインマンの奇想天外な冒険談をもとに執筆されたものである。本書は、作者がまだ数学の高校教諭であった頃の実話で、ファインマンの最後の冒険であると同時に、「僕」らの冒険録でもある。目的は唯一つ、「トゥーバに行く」ことである。事の始まりは、ファインマン家でいつものように団欒していた時のこと。地理ゲーム(世界中の独立国をあげていく、少年時代の遊び)の話になり、僕が「独立国をすべて言い終わると、次は世界中の地方の名を挙げていくんだ」と自慢げに語ると、「それじゃ君はすべての独立国を知ってるとでもいうのかい」と、リチャード。そして「あの美しい切手のタンヌ・トゥーバはどうなったのか」と問いかけてきた。地理には自信があった僕は、「そんな国などあるもんか!」とリチャードを疑ったが、昔の地図帳を開いて見てみると、小さな紫のシミのような小国タンヌ・トゥーバが、たしかにそこに存在していたのである。そして首都には「KYZYL」の文字。「まともな母音が一つもない!」と、その綴りを妙に気に入った僕らは、その日「トゥーバに行く」ことに決めたのである。でも、そこはソ連政権下の国。当時の国際情勢からして、アメリカ人がそこに行き着くのは、不可能に近かった…。それに、アジアの中心に位置するKYZYLは、欧米人にとってずっと辺境の地であり、圧倒的に少ない情報量ときた(インターネットも普及していない時代なのだから!)。僕らはトゥーバに関する情報を求めて、図書館に行き、少しの書物と熟語集、露語対応の辞書を見つけ出す。そうして、なんちゃってトゥーバ語で書いた手紙は本の奥付にある住所に送ったものの、その返信がきたのは、なんと9ヵ月も後のことだった(FBIかKGBの仕業か?)。果たして僕らの冒険の行く末は…。彼らは、書物以外に人やラジオ、使えるものはなんでもフル活用し、ありとあらゆる手段を講じて、トゥーバへのわずかな道筋を模索していく。米ソの情勢不安が刻一刻と高まるなか、素人外交官に扮して展覧会まで招いてしまう彼らの行動力には脱帽せざるを得ない。一触即発な社会を憂いながらも、諦めることなく、純粋な好奇心を胸に、自ら考え行動し、仲間と共に楽しみながら冒険するその姿は、まるで人生を上手に生き抜くお手本のようである。きっと読む人の人生に、幾何かの希望を与えてくれると思い、この本をお薦めする。優秀賞『ファインマンさん最後の冒険』ラルフ・レイトン 著;大貫昌子 訳、岩波書店、2004.
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