56吉岡 佳音(政策学部 政策学科 4年)今まで本を読むことが億劫でほとんど読まなかった私が、2回読んでももう一度読みたい、と思える本がある。『断片的なものの社会学』という本だ。この本は、社会学者である著者がマイノリティと呼ばれる様々な人(路上生活者、沖縄の人、風俗嬢、女性等)や友人の生活史の聞き取り調査を通して得られたたわいもない話や、著者の過去の内省が含まれている。それらの話を、世の中で大きく騒がれている問題に結び付けて論理的に解説をするというわけではない。たまたま居合わせたある人の人生のほんのひとかけら、断片をやさしく寄せ集めただけの本である。それぞれの断片は、決して飾られていないし、無理に意味付けをされていない。著者は1、2時間という短い時間で語られた断片的な人生の記録を、「それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ひとつの暴力である」と述べている。あくまでも一個人の日常であり、ただの日常の断片でしかない。断片に目をやると、この本に散りばめられている経験のほとんどは私とは違う人生であるのに、根底にある意識の部分で共感する。また、自分の経験の中にある思い当たる節と一致し落ち込む時がある。はっとさせられ、恐怖を感じ、時に安堵する。私は所謂きれいごとに違和感をおぼえることがよくある。「かけがえのない○○」、「当たり前ではない○○に感謝して~」といったような表現が苦手である。それがなぜなのか、という明確な理由はなかった。この本では著者はきれいごとに対して嫌悪感を抱き、人生をくだらないものと捉えていた。しかしそのくだらなさに絶望しているわけではなく、くだらないからこそ安定から脱して人生を賭ける者が出現するし、誰しもが、時にそういう賭けをする。そうして人生を差し出した者の中から天才が生まれ、良い社会(文中では文化生産が盛んな社会を指している)をつくる一助となりうる。また、私は、周りの人と感情を合わせることが苦手である。大してかわいくないものを「かわいいね」と言うことができないし、自分しか信じることができない時は、その孤独に怖さを感じることもある。そんな私が心を動かされた文章。「私たちは、他の誰かと肌を合わせてセックスしているときでも、相手の快感を感じることはできない。抱き合っているときでさえ、私たちは、ただそれぞれの感覚を感じているだけである」つまり、あらゆる感覚(痛み、匂い、音など)を感じる時、脳の中では私たちは孤独だという。痛いという感覚を手渡すこともできなければ、一緒になって痛さを感じてくれることもできない。私が思っていた以上に孤独というのはそこらじゅうにあり、孤独は避ける必要のないもので、自分の不器用な生き方が間違ってないことが証明されたような気がした。この本は、ある種の救いの書にも感じられるのである。特別賞『断片的なものの社会学』岸政彦 著、朝日出版社、2015.
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