デイヴ・ペルザー 著;田栗美奈子 訳、ソニー・マガジンズ、2002.50山元 彩美(文学部 臨床心理学科 4年)遣る瀬無いことに、私たちの日常において児童虐待のニュースを目にすることは稀ではなくなってしまった。被虐待児の数を直接あらわしているのではないとは言え、児童虐待の相談件数は年々増加し、平成25年には7万件を超えた。少ないとは言えない児童虐待のニュースを日々見ているわけであるが、私たちは児童虐待についてどれほど知っているだろうか。本作は著者であるデイヴ・ペルザーが彼自身の被虐待体験を綴ったものである。著者は本来であれば庇護され、愛情を注がれるはずの母親から、痛ましい虐待を受ける。身体的、心理的虐待に加えて、ネグレクトも受けていた著者は家にも学校にも居場所がなかった。家庭の絶対的な支配者であった母親を恐れて、兄妹はおろか、父親にも助けてもらえない。学校では空腹のあまり食べ物を盗むこと、不潔な格好をしていることなどが原因で問題児扱い、友人からはいじめの対象だった。本作で注目されるのは虐待を受け、居場所を失いながらも生きることをあきらめず、自由を勝ち取る著者の強さである。さて、著者の人生の転機となったのは、彼が通っていた学校の勇気ある教師の行動だ。著者の行動や身体的不調に疑問をもった教師の通報によってようやく彼は救い出される。著者が虐待を受けていた頃のアメリカでは今ほど虐待への対応が進んでいなかったこともあり、虐待を通報するまでには数々の苦悩と困難があっただろう。著者の生きようとする力と、彼を救おうとする勇気ある行動がなければ、この本は出版されていなかったかもしれない。平成12年に制定された児童虐待防止法に代表されるように、日本でも児童虐待への種々対策が試みられている。先述した児童虐待の相談件数の増加は、虐待への意識の高まりともみることができる。しかしながら、こういった法律の制定や意識の高まりは自動的に起こったものではない。本作の著者のように勇気を出して声をあげた被虐待体験をもつ人々や、児童虐待に心を痛めた大人たちの働きかけによって少しずつ積み上げられてきた結果なのである。そして私たちにとっても、この問題は決して他人事ではない。社会問題に向き合う時、自分は当事者ではないような、自分にできることは何もないような気がするかもしれない。しかし、未来の社会はどこかの誰かが作るものではなく、私たちひとりひとりの意識や行動が積み重なって作られていくものだ。この作品を読んで、遠い世界の他人事ではなく、手の届く問題として児童虐待について考えてみてほしい。大 賞『“It”(それ)と呼ばれた子』
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