32図書館長 安藤 徹90歳を超えてなお活発な執筆活動をつづけている外山滋比古さんが昨年出版した『乱読のセレンディピティ—思いがけないことを発見するための読書術—』(扶桑社)は、なかなか“やんちゃ”な本です。要点は、タイトルにもある「乱読」の効用です。本は手当たり次第に読むべし。さまざまなジャンルのものを興味にまかせて読み、つまらなければ読み捨てればよい。本に義理立てて、熟読したり通読したりする必要などない。一見すると乱暴な議論のようですが、そこには刺激的な知的挑発が潜んでいます。ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』(大浦康介訳、筑摩書房、2008年)とともに、学生に読んでほしいようなほしくないような、そんな危険なかおりのする、それゆえに魅力的な本です。外山さんの主張にもう少し耳を傾けてみましょう。本の“過食”と“偏食”は「知的メタボリック」になり、不健康だ。あるいはそうかもしれない。読書能力があるというのは思いこみで、ほんとうに読める人はわずかだ。なるほど。本をもっと読ませたかったら、読むことを禁止するのがもっとも効果的だ。おお、大胆な。良書、古典のみを読むべきというのは窮屈で、そんな本で苦労ばかりするのは愚かだ。そこまで言うか。本は図書館で借りずに買って読め。ん~、図書館長としてはつらい(けれども共感したくもなる)。人が薦める本ではなく自分で選んだ本を読み、失敗することが大切だ。「私のお薦め本コンテスト—MyFavoriteBook—」の立つ瀬がないじゃないか!?とはいえ、外山さんは本と出会う場としての図書館の意義を全否定しているわけではありません。膨大な数の本が流通しているにもかかわらず、私たちが実際に手にし、目にすることのできるのはごく一部です。ですから、本を自己選択するのに、文字どおり“手当たり次第”に読むしかないとすれば、本との思いがけない幸運な出会い(センディピティ)の機会はかえって限られてしまいます。そもそも、人が読み、人が薦める本を、自分もまた読んでみようと思うのも、ひとつの選択です。むしろ、本と出会うための方法や通路をいくつも持っていて、それを自在に使いながら読書体験を深めていったほうがよいのではないでしょうか。みなさんにとってもっとも有力な出会いの場、出会いのツールは図書館です。200万冊を超える蔵書を誇る龍谷大学図書館では、たくさんの本がみなさんと出会うことを待っています。さまざまな形で出会いを演出し、促しています。今年度で第3回を迎えた「私のお薦め本コンテスト—MyFavoriteBook—」には、計22編の応募がありました。応募数が少なかったのはややさみしいものの、しかし読みがいのある力作が揃い、審査に携わった者のひとりとして読む愉しみを体験できたのは幸せでした。審査では、選考委員3名の評価を数値化して総合順位をつけます。が、今回は(いや今回も)まさに1点きざみの接戦で、所定の受賞作品数(大賞1編、優秀賞4編)を選ぶのがむずかしい。ということで、結果、予定を変更して大賞2編、優秀賞2編とすることに決まりました。受賞されたみなさん、おめでとうございます。そして、参加してくださったみなさん、ありがとうございました。作家の川上未映子さんは、「自分の人生の局面を左右する出来事や決心の多くは、いつでもきっと自分の想像を少し超えたところからやってきて、まるで事故に遭うように出合ってしまい、巻き込まれてしまうもの」だと言います。そして、そうした決定的に重要なものとうまく遭遇し、巻き込まれるために、「でき館長講評本と出会う
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