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百田尚樹 著、太田出版、2006.30南 伸之介(社会学部 社会学科 3年)死ということは私にとってあまり身近なことではない。しかし、約70年前は死というものがすぐ身近にあった時代であった。昨日までおしゃべりをしていた隣の人が翌日空襲で亡くなっていたり、今日の朝いっしょに笑って隣の席でご飯を食べていた友人が敵の戦闘機に攻撃され夕方には隣の席にいなかったりすることが当然のことのようにあった。戦争が死を身近なものにさせていた。この物語は、現代を生きる青年、健太郎が姉の慶子と共に元帝国海軍飛行兵で最後は特攻隊員として亡くなった実の祖父、宮部久蔵の生涯を訪ねる旅に出るというものである。宮部を知る元海軍の飛行兵や予備学生、整備員、通信員などから宮部との記憶を話してもらう形で物語は進んでいく。話の中でわかってくる宮部の人物像は「海軍一の臆病者」だった。海軍は徴兵とは違って自ら志願して軍隊に入る。それはすなわち自分たちは国のために戦うのであって国のために死ぬなら本望であるという考えのもと入る場所である。そんな場所で宮部は「私は死にたくない」、「娘に会うためには、何としても死ねない」と言い、周りの者からは反感を買っていた。しかし、宮部は人が死ぬのは海軍にとってはたくさんいる中の一人が死んだにすぎないが、その者の家族や恋人はかけがえのない一人を失うことになると考えていた。だからこそ命が大事であった。たとえそれが軍人でも。その信念は周囲の人には理解されなかったが、凄腕の空戦技術により数々の激戦をくぐりぬけ、生き延びていった。戦局が悪化してくると、これまで徴兵が免除されてきた大学生や旧制高校生たちを学徒出陣で軍隊に入れることになった。彼らは、普通3~4年かかる飛行訓練を1年という短さで終え、速成で仕立て上げられた。その理由は大量に特攻をさせるためである。その頃、攻撃に出される飛行機は全て特攻という「全機特攻」が当たり前であった。17~20歳までの若い少年たちが毎日のように出撃し、戦場に散っていったのである。私たちと歳の変わらない者が国のため家族のために死を受け入れたのだ。出撃に向かう少年たちは死を前にして泣き叫ぶ者や取り乱す者はおらず、時には笑顔を見せて最後は堂々と死んでいった。宮部も海外での激戦の後、日本で飛行科の教官となるが自身も特攻を命じられて散った。はたして私たちは特攻隊員のように死を受け入れられるだろうか。時代が違うとはいえ、特攻隊員の少年たちもつい1年前までは普通の大学生だったのである。私たちは死というものを軽く考えているのではないか。私たちは実際の戦争を知らない。それはどうしようもないことである。しかし、私たちは戦争を知ることができる。それはどこかの政治家が知ったかのように言う戦争ではない。戦争体験者に直接経験を聞き、戦争とは何かという自分なりの考えを持つことがいかに大事なことか読み終わった時に気付かされるだろう。優秀賞『永遠の0』

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