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14長井 麻奈(文学部 日本語日本文学科 3年)君たちは京都と聞いて何を思い浮かべるだろうか。修学旅行生がよく訪れている清水寺か、古都の風情を感じる哲学の道か、はたまた高みから我々を見降ろしている京都タワーか。それらも「ザ・京都」と言うべきものだろう。では、達磨や赤玉ポートワイン、韋駄天コタツなんかを耳にしたことはないだろうか。大概の人はこう答えるだろう、「そんなモノ聞いたことないぞ」と。それもそうだ、この言葉は森見氏が描く「京都」の断片なのだから。私が森見登美彦の作品に出会ったのは、大学1年生の頃である。その頃は広島から出てきたばかりで、京都に対する溢れんほどの期待と少しのセンチメンタリズムを持て余していた時期であった。そんな京都への有耶無耶とした憧れに形を与えてくれたのが、この『夜は短し歩けよ乙女』なのである。森見作品の舞台は京都。森見氏が京都大学出身なこともあり、百万遍や哲学の道など、京都に住んでいればお馴染みの場所がよく登場する。しかも実際に著者が京都で暮らしていた分、所々の描写で「それ分かるなぁ」と頬を緩ませて頷いてしまうのが必至なのである。物語の中の登場人物たちが私の知っている、普段暮らしている場所を右往左往、縦横無尽に立ち回る様は読んでいるだけでにやにやもひとしおなのだ。ここまで読んで、「森見登美彦ってただ京都について書いているだけなのかよ。」と思われた方もいるだろう。確かに舞台は京都だ。しかし森見氏の書くのは京都であって京都ではない。言うなれば「京都」なのだ。言い方がややこしくなってしまったが、最初に述べた達磨や赤玉ポートワインを思い出して欲しい。森見氏の作品には、その物語の枠を越えて共通して登場するアイテムや団体がある。時には人物も作品を越えて登場する。『夜は短し歩けよ乙女』では、全編通じて達磨が出てくる。何をするでもにない、ただそこにあるだけ。初めはなんで達磨なのだろうと考え込んでしまうかもしれない。だが読み進めていくうちに、森見氏の作る「京都」がおでんの出汁のように染み込んできて、その無秩序に登場する達磨にさえ愛情を感じるようになってしまう。それが「夜は短し歩けよ乙女」であり、森見作品ワールドなのだ。だから、日常に少し疲れた時、これから京都で何かしようとわくわくしている時、この本を読んで「京都」を通じて京都の良さを再発見して欲しいと考える。願うならば、将来君たちが『夜は短し歩けよ乙女』ファンであれ。佳 作『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦 著、角川書店、2006.

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