10佐野 壽子(文学部 史学科 3年)たわわに実ったリンゴの木。オレンジ色の観覧車に、赤や青のゴーカート。白と黒が整然と並んだグランドピアノ。規則正しく区画された町並みには、鉄筋コンクリートのアパートメントや学校、病院、スーパーマーケットが立ち並び、その合間を送電線がせわしなく行き交っている。日々の生活に光とぬくもり、希望を電気にのせて届けようとした人々の営みが数ある写真の一枚一枚からひしひしと伝わってくる。さながら高度経済成長期の日本を彷彿とさせる。中筋純が2007年の晩秋から半年余り、ウクライナのプリピャチを訪れ撮影した115枚の写真が『廃墟チェルノブイリ』に収められている。この本を私が初めて手にしたのは2011年11月30日。深草図書館の入館ゲートを通ると、表紙を正面にこちらへ向けて「学生選書コーナー」に置かれていた。何とはなしに漂う郷愁に惹かれ、そのまま本を借りて帰った。福島第一原発で起こった事故のことはさほど意識にのぼらなかった。ページを繰るうちに、不思議なことに気付いた。廃墟と化したチェルノブイリ原子力発電所周辺は当然、人の居ない空間である。今もガイガーカウンターが警戒音を響かせるプリピャチ市街から人の姿が消えて四半世紀が過ぎた。しかし埃が降り積もり、自然が跋扈する写真の中から生々しいほどに「人々の生活」を感じられる。何故?打ち捨てられたこの街には鉛筆、本、ミッキーマウスの人形、レコード、レーニンの肖像、たくさんの物がとりどりの色彩を放ちながら横たわっている。この場所。この「廃墟」となった建築物たちはただの空間ではなく、時間を内包している。本来人間がいるはずの空間に人が欠如し、線引きされているはずの自然と人工の境界は溶け合う。そこに存在するのは「持続する時間」であり、けっして「静止した時間」ではない。廃墟は生きている。廃墟を写した写真は過去から現在、さらには未来の物語が内包し、目に見えないものをうつし込んでいる。廃墟写真は見る側の心を映す鏡だと私は思う。1986年4月26日未明。旧ソ連ウクライナ共和国チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発、炎上、炉心溶融。その当日、原発労働者の町「プリピャチ」において放射線の危険を知らされていない人々は普段と変わらない生活をしていた。翌27日、ラジオから3日分の食料を持って非難するようにとの勧告が流れ、家を出てから帰宅は今もなお許されていない。そして4号炉は「石棺」と呼ばれるコンクリートの建物に覆われており、30年の耐久年数を目前に老朽化がすすんでいる。あなたなら『廃墟チェルノブイリ』を手にして、何を感じるだろうか?優秀賞『廃墟チェルノブイリ』中筋淳 写真・文、二見書房、2008.
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